1997年、56%のロシア人がウクライナ人とロシア人はひとつのであると認識していた(2002年には、この割合が76%に達し、2004年には79%にまでなった)。
2005年には、ウクライナとロシアをひとつの国家に再統合するという考えが61%のロシア人に好意的に評価された。同時に、ウクライナのEUへの接近は45%のロシア人から否定的に評価された(注5)。
ドミートリイ・フルマン(Dmitrii Furman)が指摘したように、ロシアの国民意識は帝国やソ連の束縛から解放されておらず、ソ連崩壊後のロシア国境を不自然で歴史的に不正なものと捉えている(注6)。
その意識によって、ロシアは自分たちの意識の中にある帝国の解体に抵抗を続け、「近接した国外」にいる同胞の保護の必要性を主張するなどの、権威主義的な統治構造の強化を正当化できている。
また、ロシア国内の信じられないほど多くの(80%以上の)人によるクリミア併合の支持が、この意識によって説明できる。
ボリス・デュービン(Boris Dubin)が論じたように、国の大きさと国際的地位が変化しても、ロシア人の集団的な自己認識に決定的な変化は生じなかったのであり、依然としてソ連崩壊後のロシアは(不自然に小さくはなっているが)ソ連と連続していると見なす傾向があるのである(注7)。
クリミアを併合し「ノヴォロシア」計画を支持することで、プーチンは短期的な人気を確保する一方、長期的には、幸福な解決がなく非常に危険な諸影響をもたらしかねない軍事紛争にロシアを進ませたのである。
彼はドンバスの住民の広範な支持を期待し、アメリカとEUの政治的抵抗力とともに、ウクライナのアイデンティティやウクライナ軍を過小評価した。
ドネツクとルガンスクで表向き独立したふたつの「人民共和国」を素早く建設する計画が失敗に終わった時、ロシアはウクライナ東部を永続的なトラブルの源にして、それによってウクライナを西側にとって心地の悪い混沌とした機能不全国家にし、ロシアが適度に無秩序のレベルを操作できる緩衝国家にしてしまうという戦略をとったようである。
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