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2015年頃から『アステイオン』は論壇誌であると積極的に言い続けてきたのだが、その言い出しっぺは編集部員の私である。
『アステイオン』の編集を担当していると話すと、1970年代前半以前生まれの方には、「季刊アステイオンですね」「いつか書いてみたい憧れの雑誌です」など、お世辞も込めてポジティブな反応を頂くことは多い。
しかし、70年代後半以降生まれの人には、「どういう雑誌ですか?」「紀要ですか? それとも学会誌ですか?」と言われることが多く、説明に困ってきたからだ。
山崎正和氏らが創刊メンバーの『アステイオン』はサントリー文化財団の知のネットワークをつくろうと、1986年にTBSブリタニカ(現CCCメディアハウス)から創刊された。
初代編集長に元中央公論編集長の粕谷一希氏を迎え、政治・経済に関する論考、文学論、評伝やエッセイ、書評、またはスーザン・ソンタグやオクタビオ・パスら海外の知識人からの寄稿などを掲載していた。
「鋭く感じ、柔らかく考える 国際総合誌」と自ら名乗っていた様子はバックナンバー(※1)からよくうかがえる。
しかし、私自身、その時代の『アステイオン』をリアルタイムでは知らない。そのため論壇誌であると言えば伝わりやすいと思い、勝手に言い張ってきたものの、実は山崎氏をはじめ、編集委員の先生方に「定義が曖昧なままに、論壇という言葉は避けたほうがいいのでは?」といつか言われるのではないかと、ずっとハラハラしてきた。
しかし、誰からのご指摘もないので、そのまま言い続けてきたというのが本当のところで、最新95号で『アステイオン』が論壇誌として議論されていることに、内心ほっとした。
以上は個人的な話でしかないのだが、95号の特集「アカデミック・ジャーナリズム」は『アステイオン』という媒体が自らを問うべき議論も多く、助言やヒントもたくさんいただけた。今後、そのご意見をどう活かしていくべきかも含めて、書き記しておきたい。
座談会「知のアリーナを支える――論壇記者座談会」は、読後エッセイ「アカデミズムとジャーナリズムとアクティヴィズムの『適切な距離』が今こそ必要」で富永京子先生からは「男性しかいないこの論壇記者座談会からまずは批判して欲しい」と、厳しいご指摘を受けた。
実際、私が95号で一番ショックを受けたのは、この座談会である。それは論壇がいまだ男性中心であるということを朝日新聞の大内悟史記者に指摘されるまで、私(女性)がその点にまったく気づかないほどに内在化されていたからだ。
私は座談会に参加した3人の論壇記者同様に氷河期世代であるため、誰もが就職に苦労し、特に大手メディアへの就職は熾烈な戦いであったこと、そして中でも女性は圧倒的に苦労したことを自らの体験として覚えている。
そのため、記者が3人とも男性であることにまったく違和感がなく、「あの時代は、そういうものだった」と今になっては振り返ることができる。10歳近く年下の富永先生とは見えている景色が違うのだろうという、次世代に希望が見えたことも含めて私にはできなかった指摘であり、はっとさせられた。
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