アステイオン

アカデミック・ジャーナリズム

高坂正堯の精神から何を学ぶか──アカデミズムとジャーナリズムの架橋

2021年12月27日(月)16時10分
山脇岳志(スマートニュース メディア研究所 研究主幹)

scanrail-iStock.


<ジャーナリストを「学者みたい」と言い、学者の論文を「ジャーナリスティックだ」と言うときは、どちらも誉め言葉ではない。アカデミズムとジャーナリズムの垣根は超えられるものなのだろうか>


社会人になって36年、転勤などで10数回引っ越す中、後生大事に持ち歩いている本がある。薄緑色の素っ気ない表紙に包まれた『外交感覚ー同時代史的考察』(中央公論社、1985年)である。いつも手の届きやすい書棚に置いてきたのは、著者の高坂正堯さんのサインが入っているからだ。

筆者は学生時代、勉強熱心とは到底言えなかったが、高坂教授の講義には欠かさず出た。深みがありつつも、わかりやすく、いつも新たな知的興奮を覚えた。ただ、高坂ゼミではなかったので、個人的に話すことはなく、1986年春の卒業が迫ってきた。

サインの日付は、昭和61年3月20日とあるから、卒業式の5日前である。同じ国際法ゼミの友人で、外務省に入った四方敬之氏(現・内閣広報官)と、「高坂先生に、ひと言だけご挨拶して卒業したいね」という話になった。

アポなしで、高坂さんの研究室を訪ねて、ドアをノックした。いささか緊張したのを覚えている。高坂さんは、快く迎え入れてくれたばかりか、「メシでもいこか」と、そのまま我々をランチに連れていき、ごちそうしてくれた。

翌月から記者になり、以来30数年、著書がある人にインタビューする多くの機会に恵まれてきた。ただ、インタビューの場に取材相手の著書を持っていくことはあっても、基本的にサインのお願いはしない。

たとえこちらが若造の記者で、相手が尊敬すべき大家だったとしても、インタビューは真剣勝負の場である。実力や経験の差はあったとしても、真剣勝負のつもりで事前の準備をしなければ、相手に失礼だとも思う。そこで、サインをお願いしてしまうと、緊張感は崩れてしまうと感じる。なので、自宅の書棚には、ほとんどサイン本がない。その意味でも、青春と学生時代の匂いが閉じ込められているような、この本が懐かしい。

アカデミアとジャーナリズムの「相互不信」

なぜ高坂(以下、文中敬称略)の話から始めたか。それは、『アステイオン』95号の特集「アカデミック・ジャーナリズム」というテーマを考える上で、象徴的な存在だと思うからである。

山本昭宏の論考「アカデミック・ジャーナリズムの『高度成長』」は、「中央公論」編集長を務めた粕谷一希の編集者としての歩みや、粕谷が次長時代に月1回開いていた夕食会「中公サロン」の役割を描き、興味深い。山崎正和によるサントリー文化財団の構想は、この「中公サロン」から着想を得たのだという。

高坂は、その粕谷によって見いだされ、28歳の若さで、中央公論の巻頭論文「現実主義者の平和論」でデビューした。俊英の若手学者が総合雑誌で論壇デビューすることは、粕谷の慧眼に敬意を表するとしても、違和感はない。

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