アステイオン

アカデミック・ジャーナリズム

数と独立──棲み分ける批評Ⅲ

2021年12月15日(水)17時00分
東 浩紀(批評家・「ゲンロン」創設者)※アステイオン95より転載

けれども、そこで教授会や編集部が組織外のSNSの顔色を窺い、SNSにおいてもまた匿名のネットユーザーが相互に顔色を窺いあうとなると話が変わってくる。だれがだれの顔色を窺い、だれがどの発言の責任を負うのか、なにもかもあいまいなまま感情だけが増幅し特定の書き手が槍玉にあげられるということが起きる。

そんなとき、あるていどつながりを断っても活動を維持できる空間を確保しておくというのは、言論人にとってとても重要なのである。

社会はつながりでできている。人間はつながる動物で、だから社会をつくる。とはいえつながりがあまりに密だと危険だというのは、このコロナ禍でみなが痛感したことでもある。その意味では、ぼくはここで、言論界でもソーシャル・ディスタンスが必要だと述べているのかもしれない。アカデミズムもジャーナリズムも、いまはみな密になりすぎている。

[注]
(1)「棲み分ける批評」『郵便的不安たちβ』(河出文庫、2011年)所収。初出は『Voice』(1999年4月号、PHP出版)。この評論には「ポストモダン再考──棲み分ける批評Ⅱ」という続編があり、そちらはじつは本誌『アステイオン』の54号(2000年)に掲載されている。せっかくなので、この短いエッセイの副題も「棲み分ける批評Ⅲ」とさせていただいた。
(2)『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ、2020年)。ぼくが起業した会社は「ゲンロン」という。議論を煩雑にしないためここではゲンロンを「ぼくの会社」と表現しているが、じっさいにはぼくは2019年の末に代表取締役を退任し、経営から一部退いている。いまの代表は上田洋子氏である。
(3)以下を参照。「リベラルと保守を超える」『ゲンロンβ63』(ゲンロン、2021年)。URL=https://genron-alpha.com/gb063_01/ またぼくはべつの著作で、ポストモダン社会では物語こそ複数化するが、むしろゲームは単一化するのであって、重要なのはそのゲームの規則を変えることなのだと論じたことがある。リベラルと保守という「物語」は、現代ではもはやSNSで展開されるアテンションのゲームのカードでしかなくなっている。その自覚を欠いた「論争」は、ただゲームの観客にネタとして消費されるだけである。『哲学の誤配』(ゲンロン、2020年)参照。
(4)URL=https://shirasu.io/

東 浩紀(Hiroki Azuma)
1971年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)教授、早稲田大学文学学術院教授などを経て、株式会社ゲンロン創業。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)、『ゲンロン0─観光客の哲学』(ゲンロン)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)など多数。

※当記事は「アステイオン95」からの転載記事です。
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