アステイオン

地政学

現代世界の新たな「羅針盤」? ─『新しい地政学』をめぐって─

2020年06月30日(火)
伊藤頌文(防衛省防衛研究所戦史研究センター国際紛争史研究室研究員・2018年度鳥井フェロー)

国家の重要性という観点でいえば、様々な分野で国際協調が進む時代において、特に政治や安全保障にかかわる国家間の深刻な対立が生じることも、何ら珍しい現象ではない。たとえば、経済相互依存が深まる一方で日中間の政治的・軍事的摩擦が発生し、それが産業界にも大きな影響を与え、サプライチェーンを多角化する重要性が認識されたことは記憶に新しい。また、日韓の歴史認識をめぐる政治的な対立は、東アジアの安全保障体制の枠組みにまで波及している。加えて、具体的な政策を履行するのは、多くの場合において依然として国家単位である。とりもなおさず、国際的な人の移動や出入国管理、検疫といった施策を実行する国家の役割の大きさとその意味を、我々はまさに今般の新型コロナウイルス問題を通して再確認することになった。世界がさらに一体化しつつある時代にあっても、国家の存在感は今後も相応のものであり続けるだろうし、そこに「新しい地政学」を媒介とした国家論の可能性も広がるように思われる。

本書で扱われる「新しい地政学」の概念が、地政学という言葉によって一般に想起される範囲を大きく超えていることは前述の通りだが、その特徴がさらなる議論の有益な土台を提供しているともいえる。経済や人権、グローバル・ガバナンスといった諸論点は、従来の地政学においてはあまり顧みられなかった分野であるし、本書が提示する「新しい地政学」との接続によって、より深い理解にもつながるだろう。それと同時に、宇宙やサイバーなど、古典的な地政学の時代にはなかった空間も人間社会の構成要素となるなかで、地理と歴史に根差して世界を理解する試みとしての「新しい地政学」が、どこまでの説明能力を有するのか、そして今後どのような論点が加わり、いかなる議論の蓄積や深化が進むのか、ここから広がる興味は尽きない。

本書が掲げる多様で豊かな知見に触れつつ、日本と世界の来し方と行く末をじっくりと思索することは、先行きが不透明な現在の国際社会を考えるうえでも有意義な営為となるだろう。その意味で、「新しい地政学」は我々にとって新たな「羅針盤」のような存在なのかもしれない。本書を触媒として、今後どのような議論が展開され、思考が深まっていくのか、一学徒として非常に楽しみである。

伊藤 頌文(いとう のぶよし)
防衛省防衛研究所 戦史研究センター 国際紛争史研究室 研究員
2018年度鳥井フェロー


 新しい地政学

 著者 北岡 伸一/細谷 雄一編
    田所 昌幸、篠田 英朗、熊谷 奈緒子、詫摩 佳代
    廣瀬 陽子、遠藤 貢、池内 恵
 発行 東洋経済新報社
 発行日  2020年3月12日

 目次
 序章 古い地政学と新しい地政学(北岡伸一)

 <第Ⅰ部 理論的に考える>
 第1章 新しい地政学の時代へ(細谷雄一)
 第2章 武器としての経済力とその限界(田所昌幸)
 第3章 国際紛争の全体図と性格(篠田英朗)

 <第Ⅱ部 規範・制度で考える>
 第4章 人権の普遍性とその濫用の危険性(熊谷奈緒子)
 第5章 国際協力という可能性(詫摩佳代)

 <第Ⅲ部 地域で考える>
 第6章 プーチンのグランド・ストラテジーと「狭間の政治学」(廣瀬陽子)
 第7章 「アフリカの角」と地政学(遠藤貢)
 第8章 「非国家主体」の台頭と「地域大国」(池内恵)
 終 章 中曽根康弘の地政学(北岡伸一)


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