まず取り上げたいのは「地図を見る・読む」という行為のもつ意味である。たしかに移動手段の発達によって世界の時間的・心理的な距離は確実に短くなっているし、インターネット空間における情報は瞬く間に伝達されるようになった。とはいえ、空間としての絶対的な距離は今も昔も変わらない。そこから生じる問題は「新しい地政学」の時代においても重要性を失わないと思われる。たとえば中国の台頭は現行のリベラルな国際秩序に対する最大の挑戦であるといえるが、地理的に近接して歴史的関係も深く、その軍事的脅威にも直面する日本と、ユーラシア大陸の反対側にあって直接的な干渉を受けにくい欧州とでは、その対応や危機感に違いが生じるのは十分に考え得ることであろう。翻って、「アラブの春」を発火点として悲劇的な状況が続く中東情勢について、大量の移民・難民が押し寄せて混乱含みの対応を迫られている欧州連合(EU)と、そうした危機意識が相対的に希薄な日本という対照的な状況も、地理的な要因が作用している点では同根である。
東アジアあるいは極東に位置する日本で暮らす一般市民にとって、中東やアフリカなどの遠い場所で起こる出来事への実感が湧きにくいのは、ある意味で自然なことなのかもしれない。もちろん、実際には様々な形で世界の動きが日本にも影響を及ぼしているのであり、グローバルな視野を欠くことは問題だが、さりとて地理的な遠近による関心の濃淡を無視することも不適切であろう。陸と海、中心と周辺といった古典的な地政学的思考にとどまらず、常に世界を俯瞰する意識を保ったうえで個別の問題を眺める態度にこそ、「新しい地政学」の本質が表れているといえる。その意味で、地理的な要素への目配り、「地図を見る・読む」ことの重要性は一層高まっていくのではないか。
また、本書の議論を通して、依然として国際社会の主要な構成員の地位を占める国家という存在がもつ強靭さも、改めて浮き彫りになると思われる。グローバル化の進展とともに国家間の相互依存がより顕著になり、国際機関や非国家主体の役割や存在感がこれまで以上に高まっているのは事実である。その一方で、昨今の様々な事例を眺めると、逆説的に国家という制度・組織の重みが増しているようにも見受けられる。たとえば、アメリカのトランプ政権による自国第一主義やイギリスのEU離脱、各国で台頭するポピュリズムなどがすぐに思い浮かぶだろう。リベラルな国際秩序にとってこの傾向は決して好ましいものではないが、その背景には急速なグローバル化に取り残された人々の不満の高まりがあり、リベラルな政治勢力やエスタブリッシュメントが彼らの存在や声を軽んじてきたことの代償ともいえる。グローバル化の負の側面が表出することへの反動として、国家が再び強調されるようになるのは大衆社会における一つの帰結であり、これらの現象を単に悪しきナショナリズムの発露と切って捨てるだけでは、問題の根本的な解決にはつながらないだろう。
vol.101
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中