SUNTORY FOUNDATION
お恥ずかしい話だが、大学院生時代から私はサントリー学芸賞には、密かに憧れていた。作家志望の若者がナイーブに芥川賞を夢見るような感覚である。というのも、芸術研究を生業にしようと思っている人間が、20~30代で「目標」に出来るような賞など他に皆無だったし、しかもサントリー学芸賞には、「賞」という言葉が連想させる権威主義的な重苦しさから逃れた洒脱さのようなものを漠然と感じたからである。
サントリー学芸賞が身近に、つまり自分とまったく縁がないわけではないものとして感じられたもう一つの理由は、賞の創設時から山崎正和先生がそれに深くかかわっていたことである。そもそも私が大阪大学の文学部に行こうと思った唯一にして最大の理由は、山崎先生が美学科演劇学の教授をされていたからであり、私は『このアメリカ』や近代芸術論などの随筆を高校時代に読んで、先生への憧れを勝手につのらせていた。
私自身の大学時代の専攻は音楽学だったが、演劇学は「お隣講座」だった(当時は通称「音楽学・演劇学講座」とセットのような言い方がされていた)。卒論(そして修論)のテーマにオペラを選んだのも、あわよくば山崎先生に副指導教官とか論文審査の副査になってもらえるかもしれないという下心からである。ただし先生は当時から学外の仕事で超多忙であり、授業が終わるといつもはやてのようにどこかへ消えておられたから、個人的に話す機会など皆無であった。「雲の上の人」であった。直接話す機会がようやく訪れたのは、修士論文の口頭審査のときである。しかし面接時の山崎先生のコメントは―いかにもクール&ドライな先生らしく―「君はちょっと口がうますぎるんだよ」の一言だけ。ほかに一通りほめてくださったような気もするのだが、それについてはまったく記憶がない。
私は卒論の時以来、修論でも博士論文でも、ずっとリヒャルト・シュトラウスのオペラ『バラの騎士』をテーマにし続けてきた。実は博士論文をまとめた単行本(『バラの騎士の夢』―自分にとって最初の単著だ)を出した時、「サントリー学芸賞のせめて候補くらいにはならないかな~もしそうなったら山崎先生に読んでもらえるかもしれないし...」などと密かに思っていた。要するに私は阪大受験時とかわらず、先生の隠れファンというかストーカーだったわけだ。
vol.101
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