それでは、いかにして分断を乗り越えていけばよいのか。ある参加者は、文部科学省の学術研究に対する認識に問題があると指摘した。具体的な課題解決を主たる目的とする「要請研究」や「戦略研究」は多額の予算が付される。これに対して、「学術研究」は役に立たないという理由から予算が削られる傾向にある。こうした政府の根本的な認識から変えていかなければならないため、状況は深刻であると主張する。
一方、学際教育やイノベーション政策では、融合は進まないという主張もあった。昨年、ノーベル賞を受賞した本庶佑氏(京都大学教授)が、「何が役に立つかわからないのだから、科研費はばらまくべきだ」と発言したことに触れながら、自然発生的な「勝手なインタラクション」こそが文理の溝を埋めていくと論じた。
議論の中で、近年の若手研究者が自身の専門分野に閉じこもる傾向があると問題視する声もあがり、身に覚えのある筆者には耳が痛かった。
とはいえ筆者が専門とするたった一つの分野においてさえ、世界中で新しい知が積み重ねられ続けている。取り組みたいテーマはいくつもあるし、同一分野に閉じこもって一生を過ごしたとしても、この分野を知り尽くしたと胸を張れる日が訪れるとは到底思えない。「すべての人々が他分野を行き来する必要はない」という隠岐氏の言葉には救われるが、それでは筆者のような者は何をすべきなのだろうか。
一つは、安易な価値基準で他の研究者を評価しないという姿勢を持つことであろう。現在の非正規雇用の若手研究者は、アカデミアでのキャリア形成を念頭に置き、少しでも研究業績を増やさなければならない、というプレッシャーと日々、対峙している。そこに他分野まで視野を広げる余裕は残されていない。眼前の研究に忙殺されるうちに、いつしか研究業績の数を積み重ねていくことだけが唯一の理想的な研究者の姿である、という価値観に囚われていないだろうか。そうした価値観に囚われ続ければ、やがて他分野を行き来する研究者を適切に評価できなくなるのではないだろうか。
新たな研究業績が生み出されなければ科学は発展しない。しかし特定の価値観に囚われることが、分断の出現・助長をもたらし得ることも過去の歴史が示している。隠岐氏が描き出したように、学問は途方もない時間をかけて静かに醸成されていく。多様な価値観を受け入れる姿勢を持つこと、そうした研究者が一人でも増えていくことが、ややもどかしい気もするが分断を乗り越えていく第一歩になるのではないだろうか。
三谷 宗一郎(みたに そういちろう)
医療経済研究機構協力研究員
2018年度鳥井フェロー
vol.101
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