しかし同時に、日本にみられる「文系不要論」やフランスで注目を集めた「文学への憎しみ(La Haine de la littérature)」、韓国紙が今年3月末に報じた「人文学に対するヘイトスピーチ現象」などが象徴する通り、文系と理系の区分を過剰に意識させる論争もたびたび起こってきた。学際的研究を奨励する風潮と文系・理系をめぐる争いは、同時期に繰り返し出現してきたのである。
文系と理系の分断を憂い、その融合を呼びかけるだけでは状況は改善されない。問題が発生するまでの経緯を明らかにすれば、解決への糸口を見出し得る。このような視点に立ち、隠岐氏は、そもそもいつどのように自然科学、社会科学、人文(科)学は出現したのか、なぜ分野は細分化してきたのか、中世ヨーロッパから現在までの長期にわたる科学の歴史的展開について、時に古代ギリシャまで遡りながら、丹念に過程追跡する。
隠岐氏は、まず現在の学問体系が自然科学、社会科学、人文(科)学の順で発展してきたことを整理した上で、①分業、②物理的距離、③市場競争、そして④学問の序列意識が連関し、分野の細分化と分野間の断絶をもたらしたと指摘する。何らかの現象を正確に理解するために、研究者たちはやむを得ず分野を細分化し、分業してきた。その結果、分野間に物理的な距離が生じ、他分野の研究者と意思疎通を図る機会は失われた。こうした分断に拍車をかけたのが「儲かる分野」、「儲からない分野」などという市場競争の考え方で、特定の分野に対するイメージが研究資金の流れをも左右していった。さらに「あの分野は崇高な知の世界である/そうではない」、「天賦の才が必要である/必要ではない」といった学問に対する序列意識は、ジェンダーや人種差別などと結びつき、特定の分野に集まる人々の顔ぶれにも影響することになった。
このように、分業を目的とした分野の細分化が、時々の政策や社会構造と複雑に絡み合って、資金の流れや集団の顔ぶれに影響を与え、さらなる断絶を深めてきた。つまり細分化と分断は、自然発生的に「やむを得ず」起こった側面と、人為的な制度が促した側面があったのである。
さらに過程追跡の結果から、隠岐氏は文系と理系の根本的な志向性の差異も指摘する。すなわち、これまで文系の学問は、神(と王)を中心とする世界秩序から離れ、人間中心の世界秩序を追求することを志向してきた一方で、理系の学問は、神の似姿である人間を世界の中心とみなす自然観から距離をとり、客観的に物事を捉えることを志向してきた。科学の発展の中で、文系は「人間」を価値の源泉と捉え、理系は「人間」をバイアスの源泉と捉えるという決定的な差異が生じていたことが炙り出されたのである。
vol.101
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