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学問

「役に立つ」/「役に立たない」とはどういうことか

2019年06月14日(金)
櫻井悟史(立命館大学大学院先端総合学術研究科 授業担当講師・2018年度鳥井フェロー)

自分だったらどう答えるだろうか。議論を聞きながら、自問自答せざるをえなかった。私は、サントリー文化財団の鳥井フェローとして、大阪キャバレー100年の歴史について研究している。2018年12月に、日本キャバレーの代名詞ともいえるキャバレー・ハリウッドが閉店し、現存しているキャバレーの数は非常に少なくなった。そもそもキャバレーがまだ存在していたことに驚く人の方が多いかも知れない。キャバレーとは何かということを知らず、キャバクラと区別のつかない人も多いだろう。平成が終わり、令和となった時代の中で、キャバレーは「昭和の輝き」や「昭和の遺産」として、ノスタルジーとともに語られる。そのようなものを研究して「何の役に立つのか」。そんな声が聞こえてきそうだ。

なぜキャバレーを研究対象にしているのか。2007年に私は初めてキャバレーという場所に行った。今はなくなってしまった「ユニバース」という大阪のキャバレーであった。眼が眩むような煌びやかな巨大空間に集っていた人々は、みなそれぞれの快や欲望を持ち寄り、それらをぶつけあって楽しんでいた。キャバレーを経営する側は、音楽も、踊りも、ショーも、会話も、疑似恋愛も用意するが、その場にいる人全員が、同じものを一体となって楽しむことは求めていなかった。それにもかかわらず、その場にいる人々はどことなくつながっているようにも思えた。様々なものが詰め込まれた、何が起こるか全く予想がつかない、未知の可能性にあふれたキラキラと輝く場所。それが私の最初に見たキャバレーであり、一体それはどういう場所であるのか知りたいと思った。しかし、「昭和の輝き」や「昭和の遺産」ではピンとこない。そこには未だ言語化されていない、失われつつある人々の楽しみがたしかにある。私は、それを拾い上げ、書き留めることで、未来へと繋ぎたいと考えている。

では、キャバレー研究が未来に何をもたらすのか。どのように「役に立つのか」。それは不明である。「役に立つ」かもしれないし、立たないかもしれない。立ったとしても数百年後であるかもしれない。どういう意味で「役に立つ」のかもわからない。それは、やってみなければわからないことだ。ただ、最初から「役に立たない」と決めつけられたら、「役に立つ」かもしれない未来は確実に失われることとなる。「役に立たない」とは、世界の可能性を閉ざす言葉なのである。

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