アステイオン

言語学

『ポストモダンを超えて』について

2016年06月16日(木)
三浦雅士(文芸評論家 ・21世紀日本の芸術と社会を考える研究会代表)

SUNTORY FOUNDATION

つい最近、邦訳が刊行されたチョムスキーの談話『言語の科学』(原著2012年)が興味深いのは、現生人類がおおよそ16万年前に東アフリカにおいて誕生し、おおよそ7万年前か6万年前、アフリカを出てインドおよび東南アジア、オーストラリアへ、さらにまた中央アジアを経てヨーロッパへと拡散したというそのことと、言語の成立、すなわちチョムスキー流に言えば、突然変異としての言語本能の発生を緊密に結びつけていることである。チョムスキーはつまり、現生人類は言語本能を獲得することによってアフリカを出たと考えているのだ。

「実際、高度な記号体系を持ったことの影響とみられるもので、6万~10万年前よりも昔に遡れるものはほとんどありません。数10万年もの間、ほとんど何も変化しなかったように見えるのに、その頃になって突然、爆発的な変化が起こります。7万年前か6万年前か、あるいは10万年前くらいになるかもしれませんが、象徴的な芸術や、天文・気象事象を反映した記録、複雑な社会構造等々、端的に言って創造的エネルギーの爆発のようなものが、どういうわけか、たかだか1万年程度という、進化的時間で言えば無に等しい一瞬で出てくるのです。そういったものがそれ以前に存在していたことを示すものは何もなく、それ以後はずっと同じままなのです。」

チョムスキーはこの認識を談話のなかで再三繰り返しているが、当然のことだろう。ウィルソン、キャンらによって、いわゆるミトコンドリア・イヴが突き止められたのは1987年、以後、集団遺伝学、先史考古学、歴史言語学、進化心理学、動物行動学といった諸学問の共同研究が年を追うごとに盛んになり、21世紀の現在、世界史の枠組そのものが大きく変ってきているのである。チョムスキーはその起点に言語本能の獲得があったとしているわけだが、1959年の普遍文法の提唱以来、言語の起源に関しては語るべきではないとしてきたチョムスキーとしては、これはたいへんな変化であると言わなければならない。普遍文法理論が第二の局面を迎えたようなものだ。

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