SUNTORY FOUNDATION
3年目の3.11を前に、所用で盛岡を訪れた。時折、粉雪の舞うまだ冬景色の中で、仕事を終えた私は盛岡に赴任した旧知の新聞記者との再会を期して、彼女が指定した小さな居酒屋のノレンをくぐった。女将は笑顔で迎えたものの、「どちらから」とはきかない。やがて一人また一人と、地元の者らしい仕事帰りの人で、カウンターは埋まっていく。女将は黙って応待を続ける。「へーえ、意外と客商売なのに不愛想だ。やはり東北人は口が重いね」と思った。そこへある初老の男性が無雑作に入ってきた。そして突然静寂を破るかのように、「今日はオレの誕生日だ。それだけ祝って帰る」と宣もうた。
「そうかい、じゃお酒は」と女将。彼は生ビールとおつまみを注文し、一人語りのように「今日で62才」。おや、自分と同い歳ではないかと咄嗟に思う。男はよどみなく「家に帰っても祝ってくれる者は誰もいねえ」とつぶやく。女将は決して言葉を返さずに黙って男の顔を見る。「いや、家族はみな流されて死んだの。一人だけ残った」。男は吐き捨てるように言い、周囲は一瞬固まり、酔いが止まるかのよう。しかし醒めはしない雰囲気を維持しながら、ともかくも男の一人語りを受け入れる感じとなる。「どこなの?」と短く女将が初めて尋ねる。「大槌町ですべて流された」。「一人生きててもしょうがない。一人で誕生日祝ったってな」。もう誰も口を開くことはできず周囲の沈黙は続く。男は「でも遺体一つ出てこねえんだ。だけどもしだよ、もし出てきたらなあ、さびしがると思ってよ。とむらってやんなきゃならねえ。それだけで生きてるんだ」。その途端に緊張が一気にほぐれ、女将は「そうだね。そうだね」と生ビールのおかわりをさりげなく男に出す。まわりも声はあげずに一斉にうなづく。
ちょっとすると戸がガラッとあいて、なかなかにケバい中年女性が勢いよくなだれこみ、大声で「復興ビジネス、うまくいった?。祝杯祝杯!」と叫び、その男の横の席を引きドンとばかりに腰かける。男とは対照的に勇ましい。すると女将が注文をとる前に、男は飲みさしの生ビールを置いたまま、怒る風でもなく反射的に席を立ち、「帰る。もう直きバスが来るから」と小声で言い、素早く勘定をすませた。ケバい女性はハッとして、何か悪いことを言ったかしらと言いたげの表情をしつつ、しかし黙っている。男が店を出るや、女将は「どこから」とまたも短くその女性に尋ねた。そこにようやく旧知の女性記者が「遅くなりました」と登場。
vol.101
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中