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ワールドカップ「退屈」日記

来る理由がなかったはずの町

2010年06月14日(月)19時15分

 ヨハネスブルクをいったん離れ、これから3都市を回る。手はじめは日本─カメルーン戦の行われるブルームフォンテーンである。

 パッキングをして、ホテルに車を呼んでもらう。車がないとどこにも行けない。40分で空港に着く。料金は400ランド(約5000円)。けっこうな額ですよね。こんなふうに交通費を使うことになるとは思いもしなかった。

 ブルームフォンテーンまでのフライトは、前の便の遅れが影響したらしく、搭乗が30分遅れる。チェックインをしてバスで運ばれた先に待っていた飛行機は、とてもかわいらしかった。この飛行機に乗るとわかったら、誰もが写真を撮りたくなるだろう。ブログに写真も載せろという声をいくつかいただいていたので、載せてしまいます。

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 中に入ったら、これはもうまるで観光バスである。座席を数えてみたら約50席。そのうち20席ほどを日本人が占めていた。

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 1時間でブルームフォンテーンに着く。ヨハネスブルクと同じく空港からホテルまでの交通機関がなさそうだったので、どうしたものだろうと考えていた。すると同じ飛行機に乗っていたブルームフォンテーン在住の男性が「車で送ってやる」と言う。僕だけでなく、その場で互いに知り合いになった日本人4人にそう言うのだ。

 「ありがとう。でも、みんな宿は別々ですから大変ですよ」と僕らは言った。彼は「ノープロブレム」と言う。僕のスーツケースが大きいせいで、4人いっぺんには乗れないことがわかった。すると彼は、まず3人を送り届け、その後で僕を拾いに戻ってきてくれると言う。「いや、そこまでしてもらうのは......」「ノープロブレム。12分で戻る。12分は長いか?」。僕以外の3人を送り終えた彼は、きっかり12分後に空港に戻ってきた。

 「旅先で出会ったちょっといい話」でしかないかもしれないが、まあ考えてみてほしい。もしあなたが日本の空港や駅で4人のアフリカ人を見つけ、たまたま言葉を交わしたとしても、その4人を車で宿に送ってやろうとまで思うだろうか? しかも4人の宿はそれぞれ別々なのだ。このあと僕ら4人が彼を夕食に招いたのは、まったく自然なことだった。

 彼はリッキーという名で、30代のインド系である。ベアリング会社のエンジニアをしている。けっこう高いポストにいるらしい。

 リッキーの車に乗せてもらってたどり着いたブルームフォンテーンの町並みは、関心を向ける対象がほとんどなかった。ダウンタウンは殺風景で、人もあまり歩いていない。店と呼べるものはモールにしかないようだ。「田舎町はこうあるべき」という気概さえ感じさせる。

 けれどもワールドカップに向けて、ブルームフォンテーンはブルームフォンテーンなりに頑張ってきた。空港から宿へ送ってもらう途中、リッキーがいろいろと解説してくれた。「この道路は先週ようやくつながったんだが、まだ細かい工事が続いている」「あの壁画はおととい描き上がった」。それもこれも「2010」のためである。

 ガイドブックを開くと、ブルームフォンテーンは「南アフリカの3つの首都のひとつ」とある。南アフリカは、行政、立法、司法の首都がそれぞれ別であり、ブルームフォンテーンには最高裁判所が置かれているので「司法の首都」という位置づけになるという。でも、この町が何かの首都だと言われても、とてもじゃないが信じるわけにはいかない。思いきり日本にたとえるなら、福島の郡山あたりに最高裁が置かれて「司法の首都」を名乗っているような感じだ。ただ、僕は郡山に行ったことはないが、郡山のほうがブルームフォンテーンより魅力的な町であることは断言できる。

 まもなく日本代表が初戦を戦う舞台は、そんなパッとしない町である。はっきり言おう。ワールドカップがなければ、ここで日本の試合がなければ、僕はブルームフォンテーンには絶対に来なかった。きのうリッキーに送ってもらった他の3人の方々も、きょうスタジアムで試合を見るはずの多くの日本人にとっても、それは同じだろう。

 しかし裏を返せば、それがワールドカップなのだ。このイベントは、ふだんなら訪れる理由のない町に訪れる理由をつくってしまう。たとえそれがアフリカの田舎町であろうと。

 僕自身、これまでのワールドカップで、ふつうなら行くはずのない町にずいぶん行った。前回2006年のドイツ大会でイタリア─オーストラリア戦を見たカイザースラウテルンは、ブルームフォンテーンに負けないくらい何にもなかった。その前の2002年大会でイングランド─ブラジル戦を見た静岡スタジアムのある袋井市も、この先行くことはないだろうと思う(袋井の人が読んでいたらごめんなさい)。

 しかし、そこで行われた試合と町の風景は決して忘れることはない。カイザースラウテルンではオーストラリアが大健闘したのだが、イタリアが後半ロスタイムにきっちりPKをもらって1ー0で勝ってしまった。試合の後、ほかに店がなかったので、さえないイタリアンレストランに入った。どちらかといえばオーストラリアを応援していたからイタリア料理は避けたかったが、この店はなかなかおいしく、何よりサービスが抜群だった。

 静岡の試合では、まだ無名の若手選手だったブラジルのロナウジーニョが美しいFKを決めて、イングランドを葬り去った。ところが気落ちしているはずのイングランドファンは、試合後に駅へ向かって歩く観客の列に向けて「Arigato gozaimasu, Nippon!」という特大のバナーを掲げていた。フーリガンのイメージが強いためにヨーロッパでは肩身の狭い思いをしていたイングランドのファンは、たとえ敗れてもホスト国のホスピタリティーにお礼を言わずにいられなかったのだという。

 ブルームフォンテーンでは、試合前にランチを食べる店を探すのにも苦労しそうだ。でも、今日の試合のことはずっと覚えているのだろう。すでにこんな文章を書いているくらいだから、町や地元の人たちのことも忘れないにちがいない。ワールドカップとはそんなイベントのようである。

*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。

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BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。