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ワールドカップ「退屈」日記

ブブゼラまみれになった初日

2010年06月12日(土)11時42分

 ヨハネスブルクのオリバー・タンボ国際空港に着いたのは、大会開幕日の朝6時半だった。飛行機を降り、ターミナルをしばらく歩くと、早くもブブゼラの音が聞こえてきた。もう日本でもよく知られているはずの、南アフリカの応援ラッパである。

 アフリカ系の男性が、乗客に向けてブブゼラを鳴らしている。彼も乗客なのか、それとも空港のスタッフなのか。乗客のなかにも、ちゃんとブブゼラを持ってきて鳴らしている人がいた。なぜか韓国人に多かった。

 各地からの便が、ちょうど重なるように到着する時間らしい。早朝の国際空港の到着ロビーにさまざまな色のユニフォームを着た人たちがあふれ、応援ラッパの音が響く。これを体験するだけでも来た価値があるんじゃないかと思えてくる。おそらくはワールドカップでしか見られない光景だ。

 初日は開幕戦の観戦チケットを持っていなかったので、「ファン・フェスタ」に行ってみた。大会公認の大規模なパブリックビューイングである。

 今日の会場は、ヨハネスブルク北郊のビジネス街サントンのはずれだ。ホテル付きの運転手であるリンゼイさんが車で送ってくれたのだが、会場へ向かう道に大渋滞が起きていた。リンゼイさんに言わせれば「ヨハネスブルク史上最悪の渋滞」。みんなファン・フェスタに行く車だろうという。車から降りて歩きはじめる人が目につきはじめた。僕も会場がわかるところまで送ってもらい、自分で歩くことにした。

 ハイウェイ沿いの広い空き地に、巨大なステージと画面が設けられている。会場に来ていた人の9割ほどが南アフリカの黄色いユニフォームを着て、少なくとも3人に1人はブブゼラを持っている。開幕戦のキックオフ時間に会場にはおそらく3万人はいただろうから、ざっと1万本のブブゼラがそこにあったことになる。

 会場の隅のほうに、サッカーボールで遊んでいる人たちがいる。10人ほどが丸くなり、浮き球でパスをつなげている。南アフリカのファンが多かったが、アルゼンチン、ドイツ、アメリカなどのユニフォームを着た人たちも一緒に遊んでいる。ワールドカップではけっこう目にする光景だ。

 1998年のフランス大会では、前夜祭の大群衆の中に、誰かがボールを蹴り入れた。世界各国から来た数千数万の人々が、そのボールを蹴り上げ、パスをつなげようとした。出来すぎじゃないかと思えるくらい、美しい光景だった。

 テレビで試合中のブブゼラの音を聞くと、ただ適当にならしているように思えるかもしれない。確かに気ままに吹いている時間がほとんどだけれど、近くで聞くとそれなりに間合いやリズムを考えていることがわかる。

 たとえば開幕戦の開始前に、FIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター会長と南アフリカのジェイコブ・ズマ大統領があいさつをしたときだ。ブラッターが話をしている間、ファン・フェスタの聴衆はかなり適当に騒ぎ、適当にブブゼラを鳴らしていた。ところがズマが話を始めると、ブブゼラがぴたりとやんだ。多くの人(ほとんどは若者なのだが)が、この日に大統領が発する言葉を聞きたがっていたということだ。

 ズマはまず、ネルソン・マンデラ元大統領が「家族の不幸のために今日は会場に来られない」と語った。ブブゼラはほとんど鳴らず、代わりに「Yeah!」という声が響いた。さらにズマが「この大会は、アフリカ全体のワールドカップなのです」と宣言すると、もっと大きな「Yeah!」が響きわたった。ブブゼラはあまり聞こえなかった。

 この日、ブブゼラが最大の音量で響いたのは、もちろん後半10分に南アフリカが先制ゴールをあげた直後だった。シフィウェ・チャバララのシュートがネットに突き刺さった瞬間、4万人が大歓声をあげ、一瞬の間の後にブブゼラが炸裂した。

 その後30分ほど、南アフリカは押しぎみに試合を進めた。ブブゼラはそこそこ鳴っていたが、同時に会場には緊張感が増してきていた。これは、ひょっとしたら、ひょっとするんじゃないか......。

 しかし、残り10分でメキシコが同点に追いついた。その瞬間、会場はまったく静かで、落胆の声さえ聞こえなかった。終了間際に南アフリカの放ったシュートがポストにはじき返されたときは、大きなため息が漏れ、頭を抱える人も多かった。1─1のまま試合が終わり、ブブゼラが鳴り響いた。

 南アフリカの人たちは勝利を逃したことで気落ちしているように見えたのだが、そんなことはなかった。会場からの帰り道、多くのファンが車道に繰り出し、ブブゼラを盛大に吹きはじめたのだ。

 日本でこの規模のイベントが開かれたら、拡声器を持った係員が「車道にはみ出すな」「駅はこっちだ」と過剰とも思えるほどの案内放送をするが、そんなものはひとつもない。ファンは車道に繰り出してブブゼラを鳴らし、車はクラクションを鳴らす。車道にはみ出した人々に腹を立てているのではなく、ブブゼラに応えてクラクションを鳴らしている。ブブゼラの音が大きくなると、クラクションも大きくなった。

 試合の間、僕は何人かの南アフリカ人に話しかけられた。その場にいる4万人のなかで、外国人だとわかりやすい顔をしていたからだろう。周りにいる外国人と時間を共有したくなるのも、ワールドカップだからかもしれない。

 帰り道でも若い男性に声をかけられた。「Are you happy?(楽しかった?)」と聞かれたので、「楽しかった。Are you happy with the result?(結果に満足している?)」と聞き返した。彼は「そりゃもう、大満足!」という感じで答え、「次のウルグアイに勝てば、行けると思うんだよね!」と次戦以降の勝ち点の計算を始めた。

 初日の感じだけでいえば、特別なことは何もない「ふつう」のワールドカップだった。

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BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。