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日本代表をほめたくない理由

2010年07月01日(木)00時54分


 疲れた。パラグアイ対日本の試合。90分終わって同点だったらすぐにPK戦で片がつく、と思っていたせいもある。延長戦があるとは知らなかったので驚いた。開き直るわけではないが、渋谷や道頓堀で大騒ぎしていた人たちだって、半分くらいは知らなかったんじゃないかと思う。それくらいど素人でもクギづけにさせるのがこのイベント、なのか。

 デンマーク戦の後、あるテレビ局の人が「占拠率87%なんて数字、初めて見た」と驚いていた。占拠率とは、その時間帯にテレビをつけていた世帯のうち、その番組を見ていた割合。確かに凄いが、残りの13%はあの夜中というか早朝に、あの状況でまったりとテレビショッピングを見ていたことになる。それも凄いですよね、と。

 それはともかく、疲れたのは、試合そのものと、この大会での日本代表を自分がにわかに総括できなくて戸惑っているせいもある。

 負け試合というのは普通、惜敗とか完敗と形容される。あるいは悲劇とか。17年前のドーハの試合は、たまたま会社で1人で残業している時に何とはなしにつけていたテレビで流れていて、サッカーファンではない私にも事の重大さはよくわかった。中継から映像が戻ったスタジオが凍りついていて、誰も何も言わない。1点リードしながら終了間際に3点奪われて負けた、4年前のドイツ大会のオーストラリア戦も似たような展開だったが、こちらは惨敗と形容した人がほとんどだった気がする。

 しかし、パラグアイ戦は、そうした形容のいずれも当てはまらないように見えた。PK戦での決着だから厳密には負けたわけではない、というテクニカルなことではない。結果をわかりやすく伝えるために乱用される「惜敗」とか「惨敗」とか、ウエットな響きの「悲劇」とか、マスコミが安っぽく使うさまざまな負けの表現を厳然と拒むような試合に思えたのだ。

 日本代表についても、直後の報道だけではすっきりしない部分がかなり残る。君が代を歌うときに肩を組んだとか、ピッチでの円陣とか選手の自発的なミーティングとかが強調されていたが、それくらいでチームがまとまるなら皆とっくにやっているだろう。そういう、目に見える部分でのまとまりを自然なものにさせる何かが前段階としてあったのではないか。もっと別な部分で何か、「チームワーク」という手あかのついた言葉では説明できないものが選手や組織の中に生まれたのではないか、という思いが消えない。

 監督の選手起用やフォーメーションも、結果的にはまったというだけで、その判断にいたるまでの経緯やなぜ成功したかの分析がきちんと冷静にされるまでは、今回のマネージメントや采配がどうだったとは軽々に言えないだろう。弱かったプロ野球チームが優勝すると監督が「名将」とされて、その采配に組織論や指導者論、マネジメント論を読み取ろうとする傾向があるが、チームスポーツは一般にそんな単純なものではない。今回の日本代表の戦いぶりに「日本とは...」「日本人とは...」と国民性を重ねるような解釈も、日本のチームや選手が健闘すると内容とは関係なしに「Samurai」と表現する外国メディアと同じくらいナンセンスだ。 

 強化試合で直前まで機能していないように見えたチームが短期間であそこまで変わったからには、代表チームの中で何かが起きたに違いない。アメリカのプロスポーツでは「ケミストリー(化学反応)」という言葉をよく使うが、メンタリティーも技術も世代感覚も異なる選手とスタッフが交じり合う中でどんなムードや考え方が生まれ、それが互いにどう影響したのか。それがつぶさに取材され報道されるまでは、ありきたりな言葉でほめるのは控えておくのが、本当の意味で歴史的な今回の代表チームへの礼儀のような気がする。

追記: ドーハの悲劇は負け試合ではなく、引き分けでした。失礼しました。

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竹田圭吾

1964年東京生まれ。2001年1月よりニューズウィーク日本版編集長。

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