長い間、私の中で鳩山邦夫氏は「お祭りや盆踊りに現れる育ちのよさそうな政治家のお兄さん」だった。
私が生まれた年、1964年の選挙法の改正で、うちの地元は新設された「東京8区」になった。小学2年生のときに後に通産大臣になる深谷隆司氏が初当選し、その4年後に28歳の鳩山氏が初当選した。93年に小選挙区制への変更を経て、鳩山さんが99年に都知事選に出馬していなくなるまで20年以上の間、地元では総選挙とはすなわち「深谷さんと邦夫さんの戦い」だった。
子供の目にもさわやかな風貌で、料理やチョウの観察が趣味。大金持ちの家と聞くのに気さくで、下町の選挙区に溶け込んでいるように見えた。何だか雰囲気が変わったなと感じたのは、福岡6区に移ったた2005年頃だったか。
友人の友人がアルカイダとか、暴走ぎみの発言が目立ちはじめた。取り壊される東京中央郵便局の前で役人を恫喝する芝居がかったこわもてと、子供の頃に見かけた姿が私の中ではいまだに結びつかない。
その邦夫さんが自民党を離党した。永田町の事情に詳しい記者の人に聞いたら、何の勝算もないでしょう、与謝野さんにも舛添さんにも一言も相談してないんじゃないの、と言う。
政党を渡り歩いたり、行動が前のめりなのは今に始まったことではないので驚かない。民主党と自民党が内包するねじれを考えれば、いずれ何らかの形での政界再編が起きることが望ましいとも思う。
しかし郵政民営化の「白紙撤回」を求める立場で、どちらかと言えば民営化を支持する与謝野氏と舛添氏の「接着剤」になろうというのはどうなのか。坂本龍馬というより、尊皇攘夷を叫びながら、アメリカとフランスの仲を取り持ちますよと能天気に言っているようなものではないか。
イギリスのエコノミスト誌に、財政危機で世界に新たな政治の対立軸が生まれるという記事が載っていた。「納税者」対「公的部門」という構図だ。
ドバイショックやギリシャ危機が浮き彫りにしたように、財政赤字に対する市場の目がどんどん厳しくなっている。新興国はともかく、先進国は高成長は見込めない。少子高齢化で福祉予算は膨れ上がる一方だから、あとは増税するか歳出を切り詰める以外にない。
多くの国で削減のターゲットとなるのは公的部門だ。民間がリストラに苦しんでいる間も役人の給料は手をつけられず、生産性もよくないとされる。景気対策のための大量の公共工事をいつまでも続けるわけにもいかない。
結果として、納税者の立場(「増税するくらいなら公務員の数や給与を減らせ!」)に立つ政党と、公的部門で働く人や公共支出の恩恵を受ける人の利益を代弁する政党に二極化していき、それらが鋭く対立するという見立てだ。
欧米ではそうした兆候がすでにある。中間選挙を控えたアメリカでは共和党が前者で民主党が後者、総選挙が目前のイギリスでは保守党が前者で労働党が後者といった具合。アメリカの保守派に広がる「ティーパーティー運動」は前者がラジカルな形で姿を現した例だし、ギリシャの危機は就労者の3割から4割を占めるともされる公的部門の労働者が後者をかついで政治を乗っ取った結果と言えなくもない。
日本にとっても他人事ではない。民主党は世論調査でネガティブに出ても、高速道路の無償化や子供手当ての一律支給を諦める気配がない。支持基盤の官公労に気兼ねしているのか、官庁のキャリア制度を骨抜きにすることには熱心なくせに、肝心の公務員制度改革には腰をすえて取り組む姿勢が見えない。
自民党を尻目にみんなの党の支持率が急速にアップしているのは、そのように民主党が「公的部門」の政党として純化されつつあることを「納税者」サイドが敏感に読み取り、行き場を求め始めたことの表れではないか。
谷垣さんの指導力がどうとか、そういう単純な問題ではないだろう。何が大義かの議論もなく「野合」のように飛び出そうとする自分たちを龍馬や薩長にたとえるのは、幕末や維新の志士に失礼だ。