和歌山県太地町のイルカ漁を糾弾した映画『サ・コーヴ』がオスカーの長編ドキュメンタリー賞を受賞した。まだ観ていないので作品内容についてあれこれ言う資格はないが、部分的に映像を見た印象と映画の評判を聞くかぎり、昨年公開された欧米などであらためて人種偏見をあおることになりはしないかと不安になる。
たとえばアジアには、犬を飼育したり捕獲したりして食べることを伝統文化にしている人々がいる。彼らが犬を殺しているところを隠し撮りして、なるべく血なまぐさい場面だけを取り出し、衛生面でも懸念があるのに食用にふされているのはヤバくないですか、と問いかける――。
そんな映画がもしあって、しかもサスペンス映画(ホラー映画?)としてもすこぶる楽しめる出来だったとしたらどうか。
自分の中に生じるであろう違和感が、犬を殺して食べる人々への差別意識に転化してしまうのをパーフェクトに防げるかどうか、私には自信がない。犬を食べる行為と、それをする個々人の人格と、その人々が住む国の国民性との間には、それぞれ何の関係もないはずなのに。
隠し撮りや突撃取材はマイケル・ムーアの作品で世の中がおおっぴらに認知した手法だし、おかげで『不都合な真実』のような露骨なプロパガンダ映画に対する免疫も観客の側にだいぶできてきた。
しかし、どんな動物をどのように殺す(食べる)のは許されるのかという、倫理的な基準の明確な線引きなどできるはずもない問題について、特定の国の人口わずか3500人の町を残忍な集落のごとく映画で描くのは、フェアと言えるだろうか。人気テレビ番組の調教でイルカの商業化に手を貸した過去を悔いるのは勝手だが、その罪滅ぼしにスケープゴートにされるほうはたまらないだろう。
太地町と姉妹都市関係を結ぶオーストラリア西部ブルーム市の市議会は、『ザ・コーヴ』の公開後に太地町との姉妹都市関係停止を決議した(後に撤回)。市内にある日本人墓地に、批判派がイルカの写真を吊るして抗議する事件まで起きたらしい。
捕鯨やイルカ漁(批判派に言わせればslaughter=イルカ「猟」)に反対する権利は誰にでもあるし、税金を費やしてまで調査捕鯨を続けるべきかどうかは議論の余地があると思う。動物保護を主張する人々が常にセンセーショナルな手段に訴えてきたわけでも、もちろんない。
欧米の動物愛護活動家の間で長くバイブルとなってきたのはオーストラリアの哲学者、ピーター・シンガーの著書『動物の解放』だが、シンガーが動物の命の保護を訴えるのは、動物にも苦痛を感じる能力が備わっている以上、人間と同じくそれを軽減させられるべきだという理由から。かわいい、かわいそうといった感傷や、知能が高い(?)動物を特別扱いする非科学的な発想はみじんもない。
シンガーは一方で、「人命はすべて平等」という理屈を否定し、胎児や子供が重度の障害をもっている場合は堕胎や安楽死を認めるべきだと主張して、たびたび物議を醸している。徹底した功利主義の立場において、彼の中ではそうした考えと動物保護の考えの間に矛盾する部分がない。ベジタリアンで、「種の違いを理由に差別すべきでない」という主張を実践してもいる。
納得するかどうかはともかく、そこまで生命倫理について突き詰めて考えたうえで問題提起をするのであれば、批判される側も聞く耳をもつ気になるだろう。相手を残忍に描くことでしかメッセージを伝えられないのであれば原理主義のテロ組織と大差ないし、トム・クルーズ気取りでバーバリアンからイルカを救おうとする自分たちに酔っているとすれば無神経すぎる。