特におもしろいと感じ、そして納得させられたのは、ロバとドローンを比較してみせた最終章だ。いまから5000~6000年前に家畜化されたロバには、荷物輸送用や乗用として飼育されてきた歴史がある。荒れ地や山道をも踏破でき、すぐれた輸送能力を持っているため、人間の経済活動を拡大させる原動力になったというのだ。そしていま、ドローンがその役割を継承しようとしているというわけである。
今度は機械の家畜が、再び人間社会を変えようとしている。(中略)ドローンもロバと同様、人間に新しい輸送能力をもたらした。小型だが扱いやすく、空という新たな空間を利用して、どんな場所でも荷物を運ぶことができる(中略)。ドローン配送が一般化すれば、人が暮らし続けられる地域を拡大することができるだろう。(257ページより)
その一方で著者は、ドローンをめぐる現在の状況を「自動車のない世界に突然電気自動車が現れたようなもの」(214ページより)と表現してもいる。
電気自動車は構造が比較的単純で、部品化が進んでおり、ある程度の技術力があれば誰でも作れてしまう(中略)。誰にでも作れてしまうのに、下手すると人を殺すぐらいの力がある。ところがこの世界には、信号機もなければ自動車専用レーンもなく、運転技術や安全のためのルールを教えてくれる教習所も存在しない(そもそも交通規則というものが存在しない)。(215ページより)
つまりは、どこか矛盾を内包したこの状態こそが、ドローンを取り巻くリアルだということだ。とはいえ、問題が残されているということは、そこに希望があるということでもないだろうか。著者もその点を認めていて、人間にない能力を備えているからこそ、ドローンは「これまでになかった仕事の進め方を可能にしてくれるかもしれない」(248ページより)と語っている。
事実、漁業の世界では、船の上からドローンを放ち、カメラで魚影を探して漁を行うポイントを探すといった使い方が考案されているのだという。そればかりか、ソナーを搭載し、水中の魚影をキャッチしてスマートフォンのアプリにデータを送ってくれるウォータープルーフのドローンまで登場しているらしい。もちろんこうした未知の可能性は、他のあらゆる分野においても同時多発的に生まれているだろう。
ちなみに上記で「これまでになかった仕事の進め方を可能にしてくれるかもしれない」とかぎかっこをつけたことには理由がある。というのも本書には、「~かもしれない」という表現がよく見られるのだ。そしてそれが、まだ見ぬ「ドローンと暮らす未来」を思い起こさせてくれるのである。
「あれができるかもしれない」
「これができるかもしれない」
「しかも、可能性は思っていたよりも大きいようだ」
肯定的に、そう感じさせてくれるということだ。だから読み終えたころには、私の頭のなかにも以前には見えなかったドローンの将来的なイメージが浮かぶようになった。