私はアメリカのネブラスカ州で育った。あの大地と人々、そして自然が心から好きだった。
大学に通うためアリゾナ州に住んだ時に初めて、私の故郷が大半のアメリカ人に地味で野暮ったいと思われているのを知った。
私の家は、すごい田舎にあった。私が7歳の時、ようやくテレビがついた。番組の宣伝では、東部や中部など地域ごとに異なる放送時間を告知していたが、私たちが住む山岳部の時間はなぜか出てこなかった。やがて、私が住んでいるのは人々に忘れられた場所なのだと気づいた。
その後、私は実にさまざまな地域を訪れてきた。しかし今回、意外な場所で生まれて初めての体験を味わった。何万もの鳥が頭上を飛び交う場所――それは他でもない、故郷ネブラスカ州のプラット川だ。
プラット川といえば3歳の時、家族に連れられて州西部のスコッツブラフ国定公園近くを流れる川のほとりでピクニックをした。あまり覚えていないが母親の話によると、私はアヒルを川まで追いかけて行き、流れに足を取られて溺れそうになったという。
それから数十年、いや50年近くの年月を経て、私は再び同じ川に足を踏み入れた。今回は鳥の撮影が目的だった。手に抱えたジッツオの三脚とニコンの600ミリのレンズを落とさないよう、川底の泥にめり込んだヒップウェーダーを1歩1歩引き抜きながら、冷たい水の中を渡った。
川の中央に浮かぶ小さな中州に着くと、同行した撮影監督ローラ・ヒールドと一緒に、動物から身を隠すための「迷彩テント」を設置した。周囲の土や茂みに溶け込む色合いで、これなら鳥たちにも気づかれない。
周辺地域にはアメリカシロヅルがいる。それにあと30分ほどで、カナダヅルやスノーグースも寝床に戻って来るはずだ。ずぶ濡れになった服を乾かしに戻る時間はない。寒くて長い夜になりそうだ、と私と思った。
ところが、これが忘れられない素晴らしい夜になった。私はそれまで南極以外の大陸はすべて回り、138カ国を旅していたので経験は豊富だった。でも、人生で最初に出合った川の小さな中洲で、骨まで染みるような寒さに凍えながら過ごした過酷な夜が、人生最高の体験の一つになるとは。
真西に向いていた私たちのテントから見える夕焼けは、まぶしく鮮やかなオレンジだった。冴え渡った空は、壮麗な黄色から深いロイヤルブルーへと変わっていった。
やがて銀色の月が夜を支配すると、鳥たちが姿を現した。次第に辺りは騒々しくなり、空を飛び交う黒い鳥たちでいっぱいになった。数えることはできなかったが、おそらく5万羽近くはいただろう。私たちは目前の広大な川の流れを肌で感じながら、無数の鳥たちが頭上を飛び交うなかで夜を明かした。
人は誰もいない、とても暗い夜。でも静寂には程遠い。耳が痛いほどだったが、穏やかで心地よい時間だった。
午前4時頃、「訪問者」があった。小さな鹿の群れが川を渡り、テントのすぐそばに佇んでいた。怖くはなかったが、問いかけるようなつぶらな目をテントの窓から覗くのは少し不思議な感じだった。
東の空に太陽がゆっくり姿を現すと、ローラはビデオカメラを回し、優雅に飛ぶ鳥たちの素晴らしい映像を撮った。私も目前の光景に心を奪われながらも、同じように撮影をした。
原点に戻ったような感じだ。来年また帰る日が待ち遠しい。故郷。それが私の見つけた旅の行き先だ。
ビル・フレイクス(スポーツ・イラストレイテッド誌スタッフフォトグラファー)
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ビル・フレイクス(ニコン)