そして、このような1910年代を通じて『ジゴマ』をめぐりメディアで繰り返された犯罪フィクションを現実の犯罪の誘因とみなす見方は、その後1920年代の半ば以降に花開く日本の創作探偵小説にも波及していくことになる。
そこでは、例えば「探偵小説狂/万引/三越で捕へられて/よい経験だと大喜び」(『東京朝日新聞』朝刊1928・3・6)、「探偵小説から/生れた殺人魔/日頃耽読の『乱歩』を地でゆく」(『東京朝日新聞』朝刊1935・11・23)など、かつての犯罪報道における「ジゴマ」が、「探偵小説」「乱歩」といったジャンル名・作家名に置換されていることをみてとれるだろう。
『ジゴマ』の流行は、その後の探偵作家や読者層の形成に大きな役割を果たした一方で、このような犯罪フィクションに対するネガティブな社会的認識を生じさせる契機ともなっていたのである。
なお、こうしたミステリの犯罪誘発性を強調する報道は1960年前後あたりを境に徐々にみられなくなっていくが、他方で同時期には漫画やテレビが大衆的な娯楽としての地位を確立し、それらの青少年に対する有害性の議論が高まっていく時期でもあった。
そしてその後も、アニメやゲーム、現代でいえばインターネットやSNSなど、新たなメディアや娯楽ジャンルが創出されるたびに、現実の犯罪と結びつけられる形で同様の有害性をめぐる議論が繰り返されていることは周知の通りである。
こうした近代以降の大衆的なメディアや娯楽をめぐる有害論の起源は『ジゴマ』にあったのであり、それは新しいものに対する各時代の人々の潜在的な恐怖を反映していたといえるだろう。
井川 理(Osamu Igawa)
東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。専門は日本近現代文学。特に、1920‐50年代の探偵小説ジャンルを研究。「1920‐30年代における日本の探偵小説ジャンルの研究」にて、サントリー文化財団2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」を採択。
『怪盗ジゴマと活動写真の時代』
永嶺重敏[著]
新潮新書[刊]
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