そこでは、例えば「宛然ヂゴマ」(『読売新聞』朝刊1912・4・17)などのように犯行の凶悪性の形容として用いられる場合もあったが、特にその上映禁止前後の時期には「ジゴマを見て強盗」(『東京朝日新聞』朝刊1912・11・30)という見出しに端的に示されるように、『ジゴマ』を犯行動機の主要因とみなす記述が増加していくのである。
こうした用例からは、ジゴマが子供達のごっこ遊びの対象となるキャラクターにとどまらず、現実の犯罪を誘発する危険な存在とみなされ社会問題化されていった経緯を確認できるだろう。
また、これらの批判的な論調は犯罪報道だけでなく、警察・司法関係者、教育学者、医学者などの論説にもみられ、同時期に広く共有されていたことがうかがえる。
実際に『ジゴマ』に犯罪を誘発する側面があったのかは定かではないが、これらの批判的な言及の増加という事象で注目すべきは、このことを通じて、犯罪を描いたフィクションと現実の犯罪を因果関係で結び付ける、現代まで通じるような解釈のモードが確立されたことの方にあったといえるのではないだろうか。
しかし、『ジゴマ』をめぐる当時の批判を眺めてみると、その矛先は『ジゴマ』という作品自体だけでなく、視神経への強い刺激を伴う映画の視聴行為や、薄暗くて空気が悪く、不良少年のたまり場となっていた映画館の治安の悪さにも向けられていた。
すなわち、『ジゴマ』をめぐる批判とは、物語内容の煽情性というよりも、観客がそれを無批判に受容せざるを得なくさせる映画という新興メディアや環境に向けられたものだったのである。
こうした事情から、同書も指摘するように「ジゴマ探偵小説に対しては、何の処分も行われなかった」のだが、映画の上映禁止後、犯罪報道では「ジゴマ探偵小説」への言及が増加していく。
例えば、「住職殺しは十六の雛僧」「同人は平素好んでジゴマ或はパドラなど云ふ書籍を耽読して『自分も一度斯る事を遣つてみたい』など朋学に向ひ語り居たりと云ふ」(『新愛知』1915・10・26)、「泥棒小説を読み/退校してスリに」「通学中ルパンやヂゴマの泥棒小説を耽読して学業が嫌になり昨年退学して上京」(『読売新聞』朝刊1917・11・14)など、犯罪の誘因をジゴマやルパンなどの小説作品に見出すような記述が散見するようになる。
先述のように、当初の『ジゴマ』への批判は、映画という新興メディアや環境と結びついたものであったが、それは次第に上記のような犯罪を煽情的に描く内容それ自体の有害性へと矮小化され、小説に対する批判へと転用されていったのである。