ハンガリーのユダヤ人一家に生まれた彼は、すでに12歳でチェロの天才少年と呼ばれた。ところがヒトラーの台頭で、生活は一変する。親戚や友人知人は「最終的解決(ユダヤ人絶滅計画)」によって虐殺され、シュタルケルも過酷な工場労働や悲惨な食料事情に塗炭の苦しみを味わう。強制収容所に送られかけたり、米軍の空爆で命を落としかけたりもした。
一日一日、生きるだけで精一杯。もしこの戦争を生き延びることができたなら、自分は音楽で生きていくと胸に誓った。音楽の神様の御加護もあったに違いない、少年は奇跡的に祖国を脱出、戦後はアメリカを拠点に活動を広げた。
シュタルケルの紡ぎ出す音にこうも魂を揺さぶられるのは、旋律の奥に演奏家の歩んだ人生が凝縮されているからだろう。表現の仕事とはそういうものだから。2013年まで存命だったのに、コンサートに一度も足を運べなかったことが残念でならない。
脱稿直前の7月上旬、奇遇にもサントリーホールでヤーノシュ・シュタルケル生誕100周年を記念したチェロ・フェスティバルが開催された。私が足を運んだのは最終日の7日。国内外の6人のチェリストが、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から6番を一気に演奏するという贅沢なラインナップ。座席は前から2列目の中央寄りの端、演奏者の手元までしっかり見える。
会場に用意された小冊子には、シュタルケルの弟子たちが恩師に寄せた言葉やエピソードが豊富に綴られていて、まるで自伝の続編のようだった。冒頭に掲載されたチェリストの堤剛さんの寄稿に、シュタルケルのこんな語録が紹介されていた。
音楽であろうと文章であろうと、表現という営みの根っこには共通するものがある。演奏は、言い訳の許されない一瞬一瞬の積み重ね。そんな厳しくも豊かな空間に身を置く音楽家の言葉に、思わず自問自答した。私の筆致は冷静か、感情に荒れてはいないか――。演奏の始まる前から頭の奥が猛烈に動き始める。
6人の奏者によるバッハの世界。3時間はあっという間に過ぎたが、ちょっとした「事件」も起きた。第5番ハ短調。客席で目をつぶって旋律に耳立てていると、小さな破裂音とともに演奏が途切れた。弦が切れたのだ。
vol.101
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