IJのなかには、執筆者が持ち込んだ原稿を編集者(編集委員会を含む)が読み、掲載を決める場合もあるが、実際にはそれほど多くない。
大体は編集者が刊行や特集の趣旨に合致した書き手を探し出し、依頼して執筆にたどり着く。それは、SNSのように書き手が自由に投稿して発表されるものとの一番の違いだ。それだけIJにとっては編集者が重要ということでもある。
同時にそれは編集者の目利きがIJには求められることを意味する。権威のあるIJであれば、伝統を武器に売れっ子の執筆者を抱え込み、恭しく執筆を依頼して読者にそれなりの満足を与えることはできる。
だが、それだけではなんとも退屈でいつかはマンネリになる。むしろ「こんな書き手がいたのか!」という新鮮な驚きを読者に呼び起こすことこそ、編集者の醍醐味ではないか。IJはつねに「スター誕生」の場でもある。
では、編集者はどうやってスター候補を発掘するのか。ケータイ小説が流行ったことがあるが、ネットのSNSの投稿から、地道に書き手を探すこともあるだろう。知り合いの知り合いのツテを頼りに、とにかく会って話をしてみるのはこれからも有効だろう。
そして一度培った信頼が途切れないよう、ゆるく執筆者をつなぎとめるだけの関係構築力も、優秀な編集者には共通している。優れた編集者は情報収集力に長けているので(安くて美味しい店を知っていることが多い)、雑談も楽しくそこから執筆のヒントが生まれたりもする。
その点、『アステイオン』では目利きの編集委員が揃っているので、なにかと有利なのは間違いない。サントリー文化財団が編集事務局を担っているのも大きい。
財団といえば、学芸賞や地域文化賞が有名だが、受賞者以外にも、惜しくも受賞には至らなかったが、優れた書き手が多数いることを財団はよく知っている。それらの執筆候補者に関するデータベースを長年にわたり蓄積しているのは、これ以上にない強みだろう。
今後もIJが知的関心を喚起し続けられるかは、編集の力にかかっているというのは言い過ぎではない。
かといって編集者だけではジャーナリズムは成立しない。組織に記者を抱えているのでなければ、内容に即した執筆者を外部に求めることになる。IJの場合、書き手の多くをフリーのジャーナリストか、研究者が担う。
だが、大学や研究機関に所属する研究者にとって、IJへの寄稿がさほど魅力的に映らない現実がある。
今や自然科学はもちろん社会科学や人文学の分野でも、国際的な学術雑誌に論文を投稿して採択され、多くの引用を獲得することがキャリアの開拓につながることになる。
そのため日々学術論文の作成や査読結果のリプライに全力で取り組まなければならず、のんびりとIJに寄稿したり、推敲している余裕などどこにもないのだ。
IJへの掲載が学術業績としてカウントされるのならまだしも、現在のアカデミックの世界では研究成果とは明確に区別されているのが一般的である。
科学技術振興機構(JST)が運営し、研究者情報を収集・公開している「リサーチマップ」でも、研究論文や学位論文などの「論文」と、雑誌掲載、解説、書評などの「MISC(その他)」は別扱いとなっている。多くの分野の若手研究者であれば査読付きの論文作成に死力を尽くす。
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