著者のナッタポンが焦点を置くのは、1948年から1957年までのおよそ10年間における、政局の激しい変遷だ。
第二次世界大戦後のタイ政治が、米国が構築しようとする冷戦下の世界秩序にどう取り込まれて、どのような影響を受けていったのかを、米国側の公文書を大量に参照して細やかに記述している。
そこで浮き彫りになる──主導権争いの中で生き残る──3つの政治的ファクターが、将軍=国軍(陸軍)、封建制=国王・王室・王党派、ハクトウワシ=米国、であるというわけだ。
戦後のタイでは、実に多くの派閥が入り乱れる。陸軍、海軍、警察、王族と王党派、1932年の立憲革命で絶対王政を廃止した人民党のメンバーたちが、ときに手を組み、ときに反目し、政治の主導権を握ろうとする。
米国は、タイを東南アジアにおける反共の拠点にすべく、さまざまな派閥に経済的・軍事的支援を行いながら、どの派閥が自らのパートナーとなりうるかをじっくりと観察する。駐タイ大使から本国への報告に、その時々の米国の見立てがのぞく。
特に印象に残るのは、同書に寄せた推薦文で歴史学者のトンチャイ・ウィニッチャクーンも書いているとおり、国王・王室・王党派の人々が、政治的イニシアチブを発揮すべく、かなり主体的かつ戦略的に立ち回っている点だろう。
王党派の政党である民主党が、王族と結託して、選挙のライバルを蹴落とすために行なった裏工作のえげつなさはもちろんのこと、まだ年若く大きな力を持たず「恥ずかしがり」と評されていた当時の国王ラーマ九世が、権力を確立すべく、国内巡幸を行なったり、意識的に米国に近づいていったりする様子は興味深い。国王・王室の、政治からの独立などといったことが、建前としてすら成立しえないことがよくわかる。
もうひとつ印象に残るのが、同時期に首相を務めたプレーク・ピブーンソンクラーム(通称ピブーン)の、政治的態度の変化だ。
もともと人民党の主要メンバーとして立憲革命の立役者となったピブーンだが、その後は「国民」の創出を図るべく公定ナショナリズムを強権的に推進するようになり、第二次大戦では日本と同盟を結んだことで、タイを敗戦国化の危機に陥れる。戦後は首相に返り咲くものの、台頭する新しい政治勢力のあいだで板挟みになって力を持てず、虚しく退陣する。そんな、比較的ネガティブなイメージが現代でも流通している。
だが本書を読むと、戦後のピブーンが、国内派閥のあいだのバランスをとるべくギリギリの攻防を続ける一方、米国一辺倒の国際秩序を否定し、中国や他の東南アジアの国々ともうまく関係を結ぼうと模索するさまが見えてくる。
その上で彼は、王室の政治的影響力の高まりを危惧して、さながら立憲革命に立ち返るように、市民に開かれた民主的な政治を志向していくようになるのだった。空虚な国粋主義者としてのピブーンの姿は、ここにはない。
だが結局、ピブーンの試みは実を結ばない。中国に近づき、同じく元人民党メンバーで「民主化の父」とも呼ばれるプリーディー・パノムヨンとの関係を再構築しようとするピブーンを米国は警戒し、自分たちの新たな反共パートナーとして、王室と陸軍を選ぶ。
vol.101
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