写植文字盤 筆者提供
私はこれまで、文字のデザインやキャラクターの創作など、「記号とイメージの際(きわ)」をテーマにしながら、実作と研究の横断に取り組んできました。学生時代には、「仮面ライダー」の怪人のデザインを担当し、架空の象形文字を使った言語体系を考案しましたが、当時の問題関心は、そのまま今回の受賞作の主題にも引き継がれていると言えます。
本書では、かつて写真植字(写植)というテクノロジーが金属活字に代わって日本の出版文化に革命を起こし、その後にPCに取って代わられ消滅するまでの、約百年間を描きました。
また、その歴史と並走して、日本語の文字表記の美的可能性に向き合い、ブックデザインの開拓者として活躍したグラフィックデザイナー杉浦康平の足跡を追いました。杉浦と写植技術を中心とする、彼らの周辺の無数の職人たちの営為が、書物の世界をどれほど豊かにしたのかを、大きな流れとして記そうと試みました。
私がこの研究を始めた理由は、デザインの実践に関わる者として、自分自身が属する分野での、自明化している環境や様式の起源を知りたいという率直な思いからでした。
私がデザインを学び始めた20世紀末の現場には、廃棄になった文字見本帳など、つい昨日まで写植の黄金時代があった事実の残滓が、至る所にありました。それはどこか不穏で心がざわつく、亡霊的な印象をもたらすものでした。
ある先進技術が、歴史の中で淘汰され、急速に無用となる。それとともに、大げさに言えば、日本社会全体の「文字の形」が突然に変わる。にもかかわらず、ほとんどの人はそれを気にも留めず、毎日が進んでいく。
この出来事は、一体なぜ起きたのか? この先もまた、似たようなことが起きるのか? 写植を駆逐したPCをはじめ、次々登場する「デバイス」にも、歴史から見れば、どれほどの耐久性や実体性があるのか? 当時20歳前後の私は、そのような疑問を持たずにはいられませんでした。
そして本書を書き上げた現在、強く感じているのは、歴史を学ぶことが、たんに失われた技術や作品を懐古し偏愛することでは、決してないということです。それは自分たちの現在を認識し、未来を構想する手がかりを得るための営みです。
人間の創作活動は、時代ごとの技術環境から強く方向づけを受けています。けれども歴史を知ると、具体的な人間の繋がりや、技術を使いこなす意思が積み重なることで、不確定だった未来が決定されていく側面も、明瞭に見えてきます。
そうであるならば、私たちが日々行っているすべての小さな営みのなかにも、有限に、けれども確実に、未来への責任が宿っているはずです。
そのことを常に心に刻み、今を生きる子どもたちの未来に対する責任意識を持って、これからも研究と創作を越境する実践に取り組んで参ります。
阿部卓也(Takuya Abe)
東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。ポンピドゥセンターリサーチ&イノベーション研究所(IRI)招聘研究員などを経て、現在、愛知淑徳大学創造表現学部准教授。著書『ハイブリッド・リーディング』(編著、新曜社)など。
伊藤亜紗氏(東京工業大学教授)による選評はこちら
『杉浦康平と写植の時代──光学技術と日本語のデザイン』
阿部卓也[著]
慶應義塾大学出版会[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
vol.100
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中