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これまで18年間、記者として、また編集者として「政治」を追いかけてきた。記者としては小泉政権から鳩山政権まで政権中枢を取材した。また、編集者としてはポピュリズムや権威主義など、政治学の最新動向をいちはやく紹介してきた。
そして、父母会活動で初めて小さい世界ながら当事者として政治に向き合った。
コロナ下、地元・船橋に関わりたいと思い、保育園の父母会会長になった。そのうち、気付くと、公立保育園父母会連絡会の副事務局長、さらに船橋市の子ども子育て会議の委員になっていた。参加して4年間、そこで見えてきたものがある――。
毎年、保育園内の問題や市の保育行政について保護者の声を集約して要望書を提出したり、市が保育料の値上げを検討すれば、反対運動も行った。ときに怪しげな政党の影がちらついたり、補助金絡みの生臭い地域政治もまざまざと見せつけられた。
これらの動きの基底にあるのは、なにか。この間、常に手元に置いてきた、猪熊弘子『「子育て」という政治:少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』(角川新書、2014年)を手掛かりに考えてみたい。
保育園ではこの20年、あらゆる社会問題が噴出してきた。本書を読み進めていくと、「民営化」と「規制緩和」という言葉にぶつかる。端的にいうと、待機児童の解消と引き換えに子育ての現場が新自由主義に覆われたということだ。つまり、民営化の動きだ。
実はこうした角度から、子育てを捉える本はあまりない。新自由主義を批判する本は多いが、保育の現場に焦点を合わせたものはなかなかない。福祉系の学問分野は、行政と近いところで活動する機会が多いためか、ミクロな分析は充実している一方、読んでいてどうも歯切れが悪い。
しかし、政治経済の大きな流れのなかに保育現場を位置付けた本書は、国や地方の政策、地域社会の思惑に幻惑されない、たしかな視点を提供してくれる。
では具体的に何が起きたのか。やはり大きいのは小泉政権以降の動きだ。
vol.101
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