アステイオン

経済学

金融資産を持つ高齢者も「弱者」なのか──「言葉のズレ」から経済学を考える

2022年08月09日(火)07時59分
藤井彰夫(日本経済新聞社論説委員長)

日銀総裁の発信の相手はプロだけでなくなった

「許容度」に限らず「期待インフレ率」などで使う「期待」といった言葉も、経済学で使う場合と、一般の会話で使う場合はギャップがある。

経済学が世間の常識とずれる要因には、こうした経済学者の間では当たり前の言葉が、世間では必ずしもそうではなく、本来の意図とは別のものにとらえられてしまうことも少なからずあるのではないか。

井伊雅子・一橋大学国際・公共政策大学院教授が「日本の医療制度をどう設計するか?」の論考であげている「競争」も同様だろう。井伊教授は「経済学では文字通りの『競い争う』ことではなく『公正または平等なルールのもとで限られた資源を適切に配分するメカニズム』」であると指摘している。

特に日銀総裁など政策に関わる人々は「言葉」には細心の注意が必要だ。中央銀行の場合は「市場との対話が重要」と言われるように、通常はある程度の経済知識のある市場関係者を主要な発信の相手とみなすことが多い。

ところが今のように物価問題に人々が関心を持ち始めると、一般の人々も日銀総裁の物価についての発言には神経質になる。日銀も金融市場関係者というプロだけではなく、一般国民も意識した発信が求められるのだ。

米国でも2008年の大手証券リーマンブラザーズ破綻後の金融危機の際は、当時のバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長が、これまで出演しなかったテレビのインタビュー番組に登場、一般の聴衆を集めたタウンホール・ミーティングも開催し「市民との対話」につとめた。

『アステイオン』の論考では、こうした表面的な言葉づかいのズレではなく、経済理論の中身に踏み込んだ「経済学の常識、世間の常識」について興味深いものが多かった。私は理論の詳細に立ち入る能力はないが、ここでは現在私が観察している経済政策との関連で感想を述べておこうと思う。

「高齢者=弱者」という観念ではもはや維持できない

宇南山卓・京都大学経済研究所教授の「『低所得者』は『経済的弱者』なのか?」は、コロナ禍の際の緊急経済対策で議論になった給付金支給の際の所得制限について、ライフサイクル理論を使って、現在の所得だけに着目して「低所得者=弱者」と扱うのはおかしいという議論を展開した。

これは筆者もかねがねそう思っていたことで、高齢者など今の所得は少なくても多額の預貯金など金融資産を持っている人まで「弱者」として扱って給付金を支給する必要があるのかという問題だ。

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