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<経済学者は誰と対話すべきか? 「許容度」「期待インフレ」......経済学で使用される用語が、一般的には違う受け止められ方をすることがある。言葉の定義だけでなく、そもそも定義を伝える「橋渡し役」の役割について>
『アステイオン』96号が「経済学の常識、世間の常識」という特集を組んだ。このタイトルから筆者は最近のある「事件」を思い起こした。
2022年6月6日の講演での黒田東彦日銀総裁の「インフレ許容度」発言である。黒田総裁の発言は、東京大学の渡辺努教授が実施したアンケート調査(5カ国の家計を対象としたインフレ予想調査)を根拠にしたものだ。
「なじみの店でなじみの商品の値段が10%上がったときにどうするか」との問いに対し、「値上げを受け入れ、その店でそのまま買う」との回答が、2022年4月調査では前回調査(21年8月)より増えたことを紹介。
この結果から、総裁は「ひとつの仮説として、コロナ禍における行動制限下で蓄積した『強制貯蓄』が、家計の値上げ許容度の改善につながっている可能性があります」と指摘したのだ。
講演のこのくだりについて、「日銀総裁が『家計の値上げ許容度も高まってきている』と発言した」と伝えられたのをきっかけに、ネットなどで「私は値上げを許容してはいない」など批判が強まり、ツイッターでも「#値上げ受け入れてません」というハッシュタグがトレンド入りした。
この結果、黒田総裁は「家計が苦渋の選択としてやむを得ず(値上げを)受け入れているということは十分認識している。家計の値上げ許容度が高まっているという表現は適切ではなかった」と謝罪し、発言を撤回する事態に追い込まれた。
「値上げ許容度」という言葉は、日銀内では以前からよく使われていたという。消費者が値上げを喜んで受け入れているという意味ではなく、値上げがあった時に、他の店で買ったり、購入をやめたりせずに、やむを得ず値上げを受け入れるという消費者行動を示すものだ。
だが、一般には「値上げ許容度」を聞くと、値上げを自主的に、前向きに受けいれているという印象を持つ人が多かったようだ。
このエピソードは『アステイオン』での経済学者の論考のように経済理論に踏み込んだものではないが、経済学で使う言葉と世間で使う言葉の常識のズレを示すもののひとつといえるだろう(さらには参議院議員選挙間近で物価高が争点化している環境下で、野党を中心に政治家がこの発言を問題視し大きくとりあげたという特殊事情もある)。
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