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「あの人は新聞やテレビでばかり見かけるが、ちゃんと論文を書いているのか」。学者のメディア露出の多さに対して、ともすれば訝しむような声を耳にすることがある。だがそもそもアカデミズムへの貢献と、ジャーナリズムでの活動は対立的なものなのであろうか。
こうした問題を正面から扱っているのが、『アステイオン』95号の特集企画「アカデミック・ジャーナリズム」である。大学や学会に位置づくアカデミズムと、報道の現場にあるジャーナリズム、両者の対話や交流を活性化させる「アカデミック・ジャーナリズム」の道が模索されている。誌面では、アカデミズムとジャーナリズム、それぞれの立場や視点からの論稿や対談記事が並び、両者の架橋を目指すうえで示唆に富む内容となっている。
「アカデミック・ジャーナリズム」と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、丸山眞男である。論壇記者座談会「知のアリーナを支える」の中でも少し触れられていたが、本店としての政治思想史研究と、夜店としての政治社会評論を巧みに両立させながら、丸山は戦後日本を代表する知識人としての地位を築いていった。まさしく「アカデミック・ジャーナリズム」を体現していた学者の一人であろう。
山本昭宏「アカデミック・ジャーナリズムの『高度成長』」では、山崎正和や高坂正堯らいわゆる関西の「エライ学者」が『中央公論』の編集者・粕谷一希を介して論壇に登場していった様子が詳述されている。
関西を拠点とした「エライ学者」とはややニュアンスが異なる部分もあろうが、特定の領域や立場にとどまらず、社会全体を広く見渡すような視点を読者へ提供してくれる点においては、「エライ学者」として丸山ほど知られた存在はいないだろう。また『中央公論』を通して粕谷一希がアカデミズムから新たな論客を発掘していったように、吉野源三郎の指揮する『世界』を通して丸山も戦後の論壇で脚光を浴びる存在となっていった。
そんな丸山自身も、アカデミズムとジャーナリズムの間における自らの立ち位置に非常に自覚的だった。『現代政治の思想と行動(増補版)』において丸山は、学問に従事する研究者を「坊主」に例えている。坊主は修行を積んでその道を極めようとするが、それだけでは宗教は成立しない。研究としての修行と同時に、学問に従事していない一般の人々にも教義を説き、その価値が理解されることによって、はじめてその活動基盤を保っているという。そうした学問の「布教」こそが、いわば丸山にとっての「アカデミック・ジャーナル」であったといえよう。
vol.101
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