アステイオン

ジョージア

パンキシの「まだら」

2020年08月19日(水)
五月女 颯(東京大学大学院人文社会科学研究科博士課程・2019年度鳥井フェロー)

画像:筆者提供

多くの日本人にとってジョージア(グルジア)は未知の国であるとはいえ、栃ノ心が活躍し、またワイン発祥の地としても知られるほか、鶏肉をにんにくと牛乳で煮る「シュクメルリ」という料理が(なぜか)ファストフード店のメニューに載るなどし、ジョージアの知名度も徐々に高まり、肯定的なイメージを持つ人も増えてきているように思われる。

そのイメージ通り、ジョージアは旅行するには良い場所であり(コロナウィルス感染拡大で難しくなってしまったとはいえ)、実際に旅行者も急増し観光産業は今や国の基盤と言っても良い。とはいえ、ただ旅行するだけでは見逃してしまう「まだら」状の世界がその内部にも点在しており、そこに目を向けることで、キレイごとだけではないジョージアの現実もまた知ることができる。『アステイオン』92号の特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」では、世界各地域での「まだら」の事例が紹介されているが、このエッセーでは、ジョージア東部に位置するパンキシという地域に存在する、ジョージア内部の「まだら」に触れてみたい。筆者はジョージア近代文学を専門として研究しつつ、ジョージアの現代社会を継続的に観察しており、この「まだら」に潜む問題の根深さを実感している。

ジョージア東部のカヘティ地方はアラザニ川を中心とする広大な谷状の地形となっており、その地形を生かしたワインの一大生産地として知られる。そのアラザニ川を上流へ遡っていき、谷の幅が1キロほどになったころに、パンキシに行き着く。パンキシにはキスティ(キスト)人とジョージア語で呼ばれるチェチェン系のムスリム住民が住んでおり、いくつかの村を形成している。

チェチェンはロシア連邦南部に位置し、ジョージアとは山脈を挟んで隣り合っている。チェチェンは1990〜00年代に2度にわたってロシアと紛争を経験し、特に2004年に発生し、354人の犠牲者を出したベスラン学校占拠事件は記憶に新しい。紛争時にはパンキシには多くの難民が流入、またテロリストの拠点となるなど、治安は大きく損なわれた。現在、治安は一応のところ回復しているが、しかし以下にみていくように、地域は不安定要素を未だ抱えている。

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