アステイオン

未来

加速する世界とアイボールの憂鬱

2020年03月19日(木)
神谷竜介(千倉書房編集部長)

今後100年、大脳生理学やバイオメカニクスは電子機械工学と結びつき、この問題の解決に注力することになるだろう。日本人はそうした空想を、1980年代中盤からウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(早川書房)3部作、90年代に入ると士郎正宗の『攻殻機動隊』(講談社)、内田美奈子の『BOOM TOWN』(竹書房)、そしてキアヌ・リーブスの主演で大ヒットした映画『マトリックス』などが提示する具体的イメージと共に受け入れてきた。現在、川原礫の『ソードアート・オンライン』(KADOKAWA)シリーズが挑戦している、専用ヘッドギアによる完全没入型オンラインRPGを切り口にした、人間の世界認識拡張の物語は、これらの技術が医療や軍事などの分野と強い親和性を持つことを示唆しており、100年の行く末を想像する上できわめて興味深い。

ここで編集者たる筆者は、不本意ながら本題に立ち返らなければならない。生理的加速が人間のメンタリティを変革し、何より効率が価値を主張する世界で、書籍を読む行為にどのような意味が付されるだろう。いま筆者の手元に名刺よりひと回り小さく、厚さ10ミリほどのカードケース様の物体がある。その外部記憶装置には、30年近い編集者人生で手がけてきた100冊以上の書籍すべての、本文、デザインのデータが収まっている。大部の専門書といえどもデジタルデータのサイズなどその程度で、脳に直接情報を取り込むインターフェースが完成されれば、テキストのコピーに要する時間はマイクロ秒で済む。そのとき「本の持ち重り」や「フォントの読みやすさ」を思い返す人間はいない。デジタルネイティブならば、そのこと自体を知らない。

書籍を読むことは思考することに等しく、ディスプレイに並ぶ文字列を追ったところで、それは読書とは自ずと異なる、という愛書家たちの高説に心情的には与したいが、科学技術の奔流はそう甘くない。100年後の日本でも書籍が生き延びていることは断言できる。しかし書籍をアイボールで読むことは、ほぼ無意味な趣味的行為となり、出版が産業として存続することは難しいはずだ。本稿も、紙媒体の雑誌『アステイオン91』の企画「可能性としての未来――100年後の日本」のスピンオフだが、掲載はウェブ版とのこと。なにやら暗示的である。

神谷 竜介(かみや りゅうすけ)
千倉書房編集部長


『アステイオン91』
 サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス 発行

(※書影をクリックするとAmazonサイトにジャンプします)


PAGE TOP