100年後の世界に生きていたいとは思わないが、何かの間違いでその場に居合わせてしまったとしたら。その時、僕は何も変わっていないと思うだろうか。何も変わっていないけれど、何もかも変わってしまったと思うだろうか。
最後に、たった今、とてもいい文章に出会ってしまったので掲げよう。やっぱり80年前の新聞に載ったものである。
私は青年のころ、人生の目的は何んぞやといふ問題をいろいろに考へた。そして正直に告白すれば、いまだに何だかよくわからない。しかしそれは、わからぬ方が当然ではないかと思ふ。人類の生命は少くとも何百万年かはつづく。それの行きつく先までを的確に知つてゐるといふのは少しインチキの匂がする。ユーゴーの小説で、ジヤンヴアルジヤンが市街戦に傷ついたマリウスを担いで、パリの下水トンネルに逃げる。トンネルの中は汚水が首まで届き、四方真暗で方角がわからぬ。しかし下水はセーヌ河に出るといふことはわかつてゐる。ジヤンヴアルジヤンは下水の流れる方向に向つて一歩づつ辿つて行く。私はこれが人生だと思ふ。方角はよくわからぬが人類の流れて行く方向に行く。それは時勢に迎合するといふ意味ではない。人間の本心の姿、われわれの良心の指さすところ、人類全体が希望すること、さうした漠然たる傾向の中から、一つのハツキリした方向が決定されると思ふ。(馬場恒吾「私の人生観」『読売新聞』1940年9月29日)
吉田 大作(よしだ だいさく)
中央公論新社学芸編集部長
「中公選書」編集長
『アステイオン91』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編
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