アステイオン

美学

言葉の「彼岸」へ行くために─言葉を尽くした台風前夜─

2020年01月17日(金)
太田 泉 フロランス(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程・ 2018年度鳥井フェロー)

美術史学の基本要素にディスクリプションという手法がある。それがどのような作品かを言葉で説明することで、仔細な作品観察を行う(筆者は無類のディスクリプション愛好者であり、作品を前に延々と言葉を発し続けてしまう)。美術史を研究する立場としては、中世ヨーロッパに制作された作品を有機的に理解し、その機能や意義を論じるために、作品がその只中にあった枠組みを言語を介して身につけることを常々目指している。この枠組み無くして作品を論じることは叶わないが、当然これでは言語を介した理解を逸脱することはできない。その一方で巡礼の生活では、非常に身体的な経験が大聖堂の荘厳さをまるで雷のように伝えてくれた。足を痛め、体力を使い、そして画像データに溢れる現代社会から離れることで視覚までも日常から逸脱する。スポーツを理解するために、道具の翻訳の力を借りて、別の視点、他者の感覚を獲得するジェネラティヴ・ビューイング同様、筆者も身体の状態や情報入手環境を変えることで、作品を理解するための異なった文脈を獲得できたように感じられる。

冒頭の清の皇帝が見た肖像画がどのようなものだったのかは分からない。息を呑むような美しさだったかもしれないし、駄作だったかもしれない。何れにせよ皇帝のコメントは自らの肖像画の規範という枠組みに縛られたものである。枠組みは時に必須であり、時に邪魔になり、時にそこから自由になりたいともがく枷のようなものかもしれない。我々人間の殆どは言語という枠組みから逃れることはできない。しかしそこにはほんのわずかな隙間があって、その隙間に伊藤氏は言葉を介さない新しいコミュニケーション、齋藤氏は「アート」――高度化された現代の社会においても変わらない、人間のある種原始的な部分――を突破口に迫ろうとする。現代人が人間の原始的な部分を見つめ直すことに期待しながら、改めてマカパンスガットの小石を見るとその表情はより一層ユーモラスに見えてくる。

太田 泉 フロランス(おおた いずみ ふろらんす)
東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
2018年度鳥井フェロー


 学芸ライヴ(東京)vol.2

 「『表現する』ということ、『伝える』ということ-どもる×チンパンジー-」

 日時 10月11日(金)16時
 場所 松本楼本店
 ファシリテーター 玄田有史氏(東京大学教授)
 ゲスト 伊藤亜紗氏(東京工業大学准教授)
     齋藤亜矢氏(京都造形芸術大学准教授)


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