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「気の毒に、フランスの王様は顔が半分しかない。」これは清の皇帝が、太陽王として名高いルイ14世から贈られた、横顔で描かれた肖像画を受け取った際に発した言葉だという。皇帝がそれまでの生涯で一度も人間の横顔を見たことがない、ということは当然無いだろう。この逸話は、肖像画に描かれる人の顔貌というものは正面観であるという皇帝の揺るぎない認識を示している。その認識から逸脱した絵画が驚きをもたらしたのだろう。時代は変わって20世紀、パブロ・ピカソは、様々な視点から見た人間の身体の形態を組み合わせて、慟哭する女性を描いた。有名な《泣く女》だ。清の皇帝が見たならば、どんな感想を漏らしてくれただろうか。再び時代は変わり――今度は我々ホモ・サピエンスの時代を飛び越えて――300万年前へ、南アフリカのアウストラロピテクスの洞窟の住まいからは、直径8センチほどの小石が発見された。マカパンスガットの小石と呼ばれるこの赤褐色の小石は、中央部分に2つの丸、そしてその下に横長の長方形の窪みがあり、まるで少し目の寄ったユーモラスなヒトの顔のようだ。これは被造形物ではなく自然界から選びとられたものだが、彼らはコレクションした。丸い石の上の3つの窪みを顔に見立てたのであろう。
2019年10月11日、「『表現する』ということ、『伝える』ということ - どもる×チンパンジー -」というテーマで行われた学芸ライヴは、経済学者であるファシリテーターの玄田有史氏が、2名のゲスト伊藤亜紗氏と齋藤亜矢氏を招き、事前打ち合わせなしでとことん話し合うというもので、奇しくも台風前夜であったことも相まってかスリリングに知的好奇心を刺激された。
美学者で現代アートを専門とする伊藤亜紗氏は、自分とは異なる身体から世界を見たいという願望に端を発し、現在は障害を通じた人間の身体のあり方についての研究を展開する。当日は視覚障害のある人にどのようにスポーツを伝えるか、という取り組みを紹介した。言葉による実況解説では取りこぼされてしまうスポーツの質感―跳躍の前の「タメ」や柔道における力のせめぎ合いや駆け引きなど―を伝えるために、タオルや紐、キッチンペーパーなどのそのスポーツとは全く関係のない道具を媒体として使用する。例えばタオルの両端を両者が持ち、それを競技の動作の瞬間や選手の身体の緊張に合わせて、引いたり緩めたり振ったりすることで、視覚障害者と目の見える発信者が道具を使って協働し、言わば「もう1つの競技空間」を作り上げる。ジェネラティヴ・ビューイングと伊藤氏の呼ぶこの方法は、競技の中の、言葉ではいかんとも伝え難い力の動きや速度の緩急を、道具を使って異なる動きに「翻訳」し、両者は新しい動きを文字通り「生成」する。そこには旧来の情報伝達の理論(伝達モデル)にみる、発信者が情報を例えば言語化して発信し、それを受信者が受け取って解釈するという構図を抜け出た、発信者と受信者がまずコミュニケーションをとることによって、伝達内容が立ち現れてくるという新しい理論(生成モデル)がある。様々な動きを道具で翻訳しスポーツに見立てることで、両者は自身の「視点」を離れて他者のそれを体験することができる。
vol.101
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