アステイオン

美学

美という、いわく言い難いもの

2020年01月10日(金)
清水さやか(共立女子大学非常勤講師 ・2016年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者)

しかし、美の探求の難しさに唸らされる場面もあった。質疑応答では様々な意見が寄せられたが、そのなかで筆者がとりわけ関心を惹かれたのは、美の持つ危さに正面から切り込んだとある質問だった。美の実践としての「美化」という概念には、粗雑物やごみを排除する清掃(Reinigung)のイメージがある。このドイツ語の単語が同時に粛清という意味を持つことは、美の実践がじつのところ恐るべき事態に帰結しかねないことを物語っているのではないか――。そのような厳しい指摘が参加者の一人から出たのである。

今回の報告は美の肯定的側面に注目するものであったが、たしかに、西洋的な美の土台をなしてきた秩序、調和、統合、合理性といった理念は、ともすれば強制的な同一化や暴力的な排除・殺戮と結びついてしまう。たとえキリスト教の出現によって美が多様性を祝福する概念に変化したという歴史があるにしても、美が排除や粛清のロジックと結びつきやすいことは否定できない。私たちは美をいかに実践できるかという問題を考えるともに、美の危険性、すなわち、政治的イデオロギーに利用されやすいことや暴力と結びつきやすいことを絶えず認識しなくてはならないだろう。

質疑応答も終盤に差し掛かった頃、均一性や対称性によって規定される普遍的な美は、じつのところ人間だけでなく動物にも認識可能である、という情報が認知科学の専門家からもたらされた。そのうえで述べられたのは、人間の美の感覚は「恐ろしい」という感情と関係しているのではないかという意見である。たしかに、自らの理解の枠組みの外にあるものにただ恐怖するだけでなく、同時に美を感じることもできるのが人間の特質なのかもしれない。同専門家は最後に、「もし死の恐怖がなかったら、美の感覚はあり得たのか」という鋭い質問を投げかけたが、その問いには死すべき者としての人間の脆弱さと同時に、人間の可能性を物語る何かがあるように思う。

美という、いわく言い難いもの。その感覚はどうやら、人間性と深く関わっているらしい。「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐れさせる」(『パンセ』)と言ったのはパスカルである。未知なるものと対峙するのは厄介だし危険だし、とても恐ろしい。しかし、それとの対峙から逃れられないのが人間なのだろう。そのように思いを馳せてみる秋の夕べだった。

清水 さやか(しみず さやか)
共立女子大学非常勤講師
2016年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者

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