この直観においては、認識は創造と結びついている。言い換えればベルクソンが考える創造とは、「帰還が即ち発出であるような、一方向即双方向であるような因果性に基づく産出」(瀧氏)のことを指すのだ。このベルクソンの思想に、人間を「工作人(ホモ=ファベル)」ならぬ「創造人」として再定義する見方をみとめる瀧氏は、人間をその他の存在から区別しうるのは、このような「創造」を可能にする直観の有無ではないかと問いかける。本能は動物にもある。知性についてはAIが人間を凌駕する。しかし、動物やAIにはおそらく美は直観できない。本能や知性とともに直観が備わっていること、その直観によって創造ができること。それこそが、現段階では人間の特質といえるのではないだろうか――。
ベルクソニズムに依拠しつつこのように人間を新たに定義してみせる瀧氏は、美の探求は理論的にだけでなく、同時に実践的に、あるいは制作の問題として捉えられるべき、という提言で報告を締めくくる。結論部分における、恩師と仰ぐ今道友信氏の「世界の美化」という概念の引用は(本人も認めるように)ややラディカルに聴こえたものの、その裏には美をめぐる学問的探求を机上の空論で終わらせず、どうにか今の社会へ開かれたものにしたいという切迫した思いがあることが感じられた。実学ではない文系学問がこのAI時代に何をなすことができるのか、あるいは何をすべきなのか、瀧氏の熱い報告を聴いた今改めて考えさせられる。
プラトン、アリストテレス、プロティノス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス――古典を豊かに旅しながら解説をしてゆく瀧氏の報告を聴いていると、かつて人間にとって美がかくも大きな価値を持っていたのかということに驚かされる。プラトンが言った「よく生きる」の「よく」には、「正しく」という意味も「美しく」という意味もある。「創世記」に頻出する「よい」という表現は、もともと倫理的な質ではなく美学的な質と関係していた。定義そのもののなかに「いわく言い難いもの」を持つのが美だと瀧氏は言うが、その得体の知れないものを人類は古来追求し続けてきたのだ。今回ひとりの美学者の導きで、美をめぐる知の豊かな水脈に指先でそっと触れることできたのは大きな喜びである。
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