しかしながら、学術書はその性質上、広く開かれた本ではありません。重厚な扉がぴったりと閉まっているような印象で、中に入るにはノックが必要な気さえします。実際、質、量、値段ともに本の中でも最高峰で、誰でもどうぞお気軽に、といった種類の本ではありません。どれだけ素晴らしい本であっても手に取られなければ書店の店頭にある意味は失われます。
私にとっての課題はまさしくこの一点で、書店の店頭で出会える混じりけなしの本物の知の面白さをどうしたら伝えられるのかと、お客さまと一緒に探究してきました。
本棚のガイドを皮切りに、お客さまと一緒に続けてきた読書会、研究者同士の本物の議論、トークショーなどを通じて見えてきたのは、講師と生徒の関係ではなく、単純に著者の人間性や研究者の情熱にふれられたときに化学反応が起こる、ということでした。ご登壇いただく著者が身を乗り出して語りはじめたとき、その情熱は観客にも伝播します。知らないことを知る喜びは、トークショーが終わったあとのお客様の表情にはっきりと表れています。細部が緊密に響き合い、観客の熱気をはらんで少しづつ形を大きくしていく。書店員としてその現場に立ち会えるのは、喜び以外の何物でもありません。
多くの書店で、サイン会や刊行記念トークイベントなどの催しが日夜開催されていますが、恥ずかしながらやってみてわかったのは、書店は言論のアリーナたり得るということでした。日本最大規模の書店チェーン、ジュンク堂書店の名物店長でありながら、現場で書店と出版文化を研究しつづけてきた福嶋聡氏は『書店と民主主義』(人文書院)で、「願わくは、今日出る書物は、明日に向かった提言で満ち、人の知性を発火させるものであってほしい。そして、書店は、書物が喚起した議論が実り豊かな結果を産み出す、活気に満ちた「闘技場(アリーナ)」でありたい。」と記しています。
本には手もなく、舌もありませんが、実際に書店は、本の闘技場であり、劇場です。
本を書く人(著者)、本をつくった人(出版社)、本を届ける人(書店員)、本を読む人(読者)が一堂に集まることのできる劇場なのです。サントリー学芸賞は、毎年暮れに、書店の店頭に果実をもたらしてくれます。私たちが忘れてはならないのは、一本の樹が枝をのばし、葉を茂らせ、果実を実らせるには、種をまく前に、土を耕さなければならないという事実です。この先、サントリー学芸賞が50年、100年と続く傍らで、書店が言論のアリーナとして並走し続けられるように、一冊でも多く次の読者に手渡していけたらと願います。
*『サントリー学芸賞選評集』は下記サントリー文化財団Webサイト内にてe-pub形式でご覧いただけます。
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/list.html
三砂 慶明(みさご よしあき)
梅田 蔦屋書店 人文コンシェルジュ
vol.101
毎年春・秋発行絶賛発売中
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