元中央公論社の粕谷一希さんとわれわれ事務局が企画した雑誌創刊については、山崎先生は当初「財団に広報誌は不要」と反対された。
しかしながら、若手研究者の活躍の場の提供とクオリティマガジンの時代的意義、加えて粕谷一希さんの「単なる広報誌にはしない」という雑誌編集への強い情熱が山崎先生を動かした。
発刊が決まると、山崎先生・粕谷一希さんを中心にわれわれ事務局も交えて、雑誌創刊の準備に大わらわとなった。「アステイオン」というタイトルから雑誌の扉に掲げる巻頭メッセージ、国際総合誌という方向性まで山崎先生の尽力により決定した。
雑誌の体裁、内容、原稿依頼は粕谷さんが「中央公論」元編集長の経験を活かしてリードされ、1年近くの準備を重ねて、ようやく1986年夏、TBSブリタニカ社より出版の運びとなった。
財団事業の根幹は外注せずに自前でやるというのが山崎先生の方針だったので、われわれ事務局スタッフにとって、雑誌の編集は初めてのことでもあり、想像以上にタフな仕事であった。
毎号の編集会議は、山崎・粕谷両氏の真剣な議論が白熱し、目次の構成から原稿のタイトル、リードのつけ方、さらには原稿の中身にまで及んだ。原筆者の考えたタイトルや本文に修正をお願いすることもたびたびあり、伝達役のわれわれは四苦八苦したものである。
ただ「案ずるより産むがやすし」で、ほとんどの場合、原筆者に読者への配慮を納得していただき、修正案が受け入れられたことを憶えている。
賞の名称についても、雑誌や原稿のタイトルについても、安易な妥協をせず最善を尽くして表現するという山崎先生の姿勢は一貫していた。
その後「アステイオン」誌が紆余曲折を経ながらも、38年間もの長きにわたって多くの人に支えられ、本年100号の発刊に至ったことは感無量である。山崎先生・粕谷さんも雲の上で喜んでおられることだろう。
つねに時代の潮流をグローバルな視野から鋭く観察し、該博な知識に根差した柔軟な思考を展開し、文章や会話や演出により鮮やかに表現する山崎正和先生の下で充実した時間を過ごせたことは、幸いであった。
私が異動により文化財団事務局を離れた後で、先生から記念にいただいた色紙には、「秘すれば花なり」(世阿弥)と書かれていた。大切にされていた「表現」の要諦として、肝に銘じている。
伊木 稔(Iki Minoru)
大阪商業大学名誉教授。1945年大阪府生まれ。1968年京都大学経済学部卒業。サントリー株式会社経営企画部長、サントリー文化財団専務理事、大阪商業大学総合経営学部教授などを経て、現職。主な著書として『文化を支えた企業家たち 「志」の源流と系譜』(ミネルヴァ書房)など。
『別冊アステイオン それぞれの山崎正和』
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
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