ジャーナリストの近藤紘一による『サイゴンから来た妻と娘』(文藝春秋)をご存じだろうか。半世紀前のノンフィクション作品であるが、日本人による優れたベトナム人観察記として今も味読に値する。
近藤は同書のなかでベトナム人のメンツについて以下のように述べている(*7)。
ベトナム人のかくも高きプライドは前近代の封建王朝の時代に各社会階層における儒教の浸透とともに醸成され、最後の独立王朝となった阮(グエン)朝の時代(1802年~1945年)に頂点を迎えた。
阮朝の歴代皇帝とその周囲においては、同時代の清朝を満州族による(漢民族ではない)〝夷狄〟の王朝であると侮蔑し、自分たちこそが中華文明を正しく継承しているのだと自認する傾向がみられた(*8)。
そもそも儒教で理想とされる古代中国の都市国家「周」は小さかったのであるから、領土の小さいベトナムこそが純粋に儒教の教えを守っているのだとの自負さえあった(*9)。これは同時代の朝鮮王朝にもみられたいわゆる「小中華思想」である。
このベトナム版中華意識のことをベトナム史研究では「南国意識」とよぶ。〝北国〟である中国に対して、〝南国〟であるベトナムは文明的に対等かつ独立した存在であるとする国家意識である(*10)。
これぞすなわち、ベトナム人の誇り高きメンツの淵源である。
牧野元紀(Motonori Makino)
1974年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学(博士)。国立公文書館アジア歴史資料センター調査員、東洋文庫主幹研究員、昭和女子大学大学院准教授などを経て、現職。専門は東洋学(主にベトナム史、パリ外国宣教会アジア布教史、近代太平洋海域交流史)。編著に『ロマノフ王朝時代の日露交流』(勉誠出版)など。
特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
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