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文化人類学

政府に応援されたシングルマザー──80~90年代ベトナムの「子を請う」女性たち

2022年10月20日(木)08時00分
藤田高成(トロント大学人類学科博士課程)

この歴史は興味深いものだが、現代の日本に生きる私たちにとってあまり関係がないと思われるかもしれない。しかし私は、ベトナム女性の歴史が、現代の日本が抱える切実な問題について新鮮な視点を得るための格好の題材になると思うのだ。どういうことだろうか。

子を持ち親になりたいと望む人が様々な困難に直面しつつも、その困難を乗り越えようとして非慣例的な方法を用いたという歴史は、まさに今、日本をはじめとする多くの場所で日増しに注目を集めつつある社会的な現象を想起させる。国も時代も異なる別々の事柄なのだから安易な比較は禁物だが、それでも関連付けて考えることができそうだ。

日本では昨今、様々な理由で子を生むことができないカップルや、パートナーを持たない人が、他人の配偶子を貰い受けることで子をもうけている。日本の生殖医療の現場において第三者からの精子提供で子が誕生したという歴史は1949年まで遡る。

医療を介さずに精子を授受する場合もある。近年、SNS上には精子提供を希望するアカウントが多くあり、ユーザ同士が直接連絡を取り合って精子を受け渡し、それで実際に生まれた子がこれまでに多くいることが知られている。

言うまでもなく、制度的な支援の無い形で精子を授受することには様々なリスクが伴う。安全面では感染症や遺伝病のリスクがある。また、子は遺伝的な親が誰なのかを知りたいと思うかもしれない。子、親、精子提供者の誰もが納得できる結論に到れるだろうか。これは倫理的なリスクである。

リスクがあっても勇敢な行動を選択する人たちがいるのは、親になりたいという強い気持ちゆえだ。そこで必要になるのは、親となる人や生まれてくる子たちが幸福な人生を送れるような制度を整備することだ。

しかし、国は「少子化対策」として制度作りに努めているものの、追いついていない。また「少子化」や「出生率」というマクロな視点だけでなく、もっと本人たちの幸福に寄り添った政策が必要だという専門家の指摘もある(柘植2022)。

そういった観点から見たとき、「子を請う」というベトナム女性の選択に関してとりわけ注目に値するのは、これらの女性に対して社会が理解を示しただけでなく、国家が積極的に応援したという点である。契機は1986年の法改正だった。結婚している母とその子に認められるのと同等の権利を未婚の母と子に対しても保障することを定めたのだ。

その後、状況の制約のため「子を請う」決断をした母とその子を正当な家族と見做すべきだというメッセージが、政府機関の専門家、政府系メディア、あるいは女性たちが働く政府系の職場など様々なレベルから発せられた。とりわけ、ベトナム婦人協会や「家族と女性に関する科学研究センター」といった政府傘下の組織が積極的に世論形成を図った様子が描かれている。

1980年代や90年代といえば、ベトナムが世界最貧国の一つに数えられた時代からさほど経っておらず、当時の社会保障や家族政策は何から何までが手探りだったはずだ。そんな中、特殊な歴史状況に翻弄されつつも困難を乗り越えて子を持とうとする女性たちが、公的に支援されていると感じられる環境があったのである。

「子を請う」という選択をした女性たちが、未だに儒教的価値観が根深い社会において理解の眼差しを向けられ、国家からの承認と応援を受けられたというのは、とても人間的なことではないだろうか。その政策は、人間の幸福を尊重していると感じさせてくれる。

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