写真:サントリー文化財団
私は昭和52年に大阪大学文学部に入学し、学部生、博士課程後期課程大学院生、助手として、山崎先生の謦咳に接し、ほんとうに多くのことを学ばせていただいた。
先生は、昭和51年4月に、大阪大学文学部美学科芸能史・演劇学講座の教授に就任された。阪大の芸能史・演劇学講座は、昭和48年に創設された美学科の中の講座の1つで、国立大学として演劇学を冠した最初の講座であった。講座の発足は前年の昭和50年で、山崎先生はその翌年に42歳で2代目の教授として赴任された。
先生の授業は今でも鮮やかに脳裏によみがえる。なかでも、非常に明晰、明快であった「演劇学概論」の講義のことは忘れられない。先生はこの学部の概論講義を発展させて「演技する精神」を執筆され、学位を取られた。
講義は、アリストテレスの「演劇とは始まりと中と終わりがある」というところから始まり、演技とは目的を括弧に入れて過程を意識したものである、演技は展望と没入のアンビヴァレントな2つの面からなっているという内容へと進み、世阿弥の演劇論、メルロ=ポンティの理論に続いていく。
抽象的な演劇学の理論を、先生は平明で的確な言葉で説かれた。私たちは明晰な論理を自らの手にした知的興奮に包まれ、講義は終了するのだが、さて、講義後に自ら内容を思い起こそうとすると、あれほど明快だった講義の内容は、一転、難解になるのであった。
明晰な論理は先生の言葉によって産み出されたもので、自分の力ではまるで言い表せないことを、毎回思い知らされた。
私は、先生にものを考えるということの根幹を教えていただいた。自身の研究分野としては近世芸能史に進んだのであるが、学問というものを、山崎先生の演劇学の講義を通してまず学ぶことができたことは何よりも大きな学恩であると感謝している。
先生は著作でも言われているが、授業の中でも、よく「真実というものが、丸太のようにどこかにごろりと転がっているわけじゃない」と言われた。
ものごとは言葉によって姿が現れてくるものであり、言葉にすることを重視され、言葉によって可能であるものは何なのかを意識するように言われた。そして、そのような先生の学問的な姿勢が演劇のありかたと深く関わっているということを知ったことが、学問に魅力を感じるきっかけとなった。
また、先生は演劇教育の面についても道をつけられた。演劇学の演習では、観劇実習を実施された。1年間に何本か、いろいろなジャンルの舞台を演習授業の一環として団体鑑賞するのである。
授業の一環であるので、講座の予算からチケット代の補助が出ていたのだが、観劇実習を始めた当初、大学の事務方は、演劇鑑賞の費用を負担した前例がないと支出に難色を示したそうだ。国立大学で最初の演劇学講座なのだから前例があるわけがないと先生が強く主張されて、ようやく実現したのだと、後に伺った。
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