しかし、本誌の論壇記者座談会(「知のアリーナを支える」)を読む限り、オールドメディアの側は、アクティヴィズム、ジャーナリズム、アカデミズムの意図せざる連動、それが生み出す負の側面にたいしてやや無邪気であるようにも感じられた。
近年の社会運動を検討してきた観点から筆者が指摘したいのは、三者の過度な連動が識者の固定化、言論の硬直化を招いているのではないかということだ。SNS文化やネット上でのアクティヴィズムに対応しようとする拙速なジャーナリズムは、過去にメディアで発言した識者や記者・編集者のネットワークの延長線上にいる識者といった「いつもの顔」「常連識者」を誌面に召喚せざるを得なくなる。
一方、ハッシュタグ・アクティヴィズムに関与するような政治的に意識の高い人々の発言で近年多く目にするのは、社説の方針が自分の政治的志向と合わない、識者の人選が自らの好みにそぐわない、といった理由からのメディアに対するボイコットだ。
その結果、見たい識者、読みたい言説しか見なくなる。「数の幻想」を気にするウェブメディアも新聞社も、そっぽを向かれることを恐れ、特定の識者への依存や言論の固定化へと向かう、あるいはすでに向かっている可能性は十分に考えられるだろう。
論壇記者座談会(「知のアリーナを支える」)では、各新聞社の論壇担当記者らが多角的に議論を行っているが、こうした固定化や硬直化について当事者として自省している様子はあまりない。実際に個人名を出して彼らが言及する「識者」は、どの新聞でもよく見る顔ぶれだ。
小林佑基氏(読売新聞)は、アカデミズム側にはマスコミに出る学者を軽蔑する風潮があり、一部の学者にメディアの取材が集中してしまうという問題点に言及する。また、鈴木英生氏(毎日新聞)は、「(メディアで発言する)余裕が今の大学で、特に若手にはない」と語る。
両者とも、識者の固定化、言論の硬直化の原因をアカデミズムの文化とその変容に求めているわけだが、アカデミシャンの側がジャーナリズムを敬遠している可能性については考えないのだろうか。とりわけオールドメディアに従事するジャーナリストの傲慢さや拙速な依頼に疲弊し、抵抗を感じる声は周囲の研究者からも聞かないわけではない。
大内悟史氏(朝日新聞)と武田徹氏は論壇の問題点について、「論壇の顔ぶれが今なお男性中心ではないか」(大内)「『アステイオン』の編集委員も、今は男性のみ」(武田)と指摘している。
こうした指摘は、言論の硬直化・識者の固定化を避けるためにきわめて重要と考えられるが、だとすれば男性しかいないこの論壇記者座談会からまずは批判して欲しい。女性である評者としては、朝日新聞論壇時評初の女性筆者である、林香里氏(東京大学)の編著『その足をどけてくれませんか――メディアは女たちの声を届けているか』(亜紀書房)のタイトルが印象深く思い起こされる。
富永京子(Kyoko Tominaga)
1986年生まれ。北海道大学経済学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科修士・博士課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員を経て現職。著書に『社会運動のサブカルチャー化――G8サミット抗議行動の経験分析』(せりか書房)、『社会運動と若者:日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)など。
『アステイオン95』
特集「アカデミック・ジャーナリズム」
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