松本幸四郎丈扮する「蝙蝠の安さん」 提供:国立劇場
2019年12月4日から26日まで、国立劇場にて松本幸四郎主演の歌舞伎作品『蝙蝠の安さん』が上演された。喜劇王チャールズ・チャップリンの名作『街の灯』(1931年)の歌舞伎版だ。歌舞伎界では、『風の谷のナウシカ』など異色の新作が相次いでいるが、本作は新作ではなく88年ぶりの再演となる。実は、映画の日本公開(1934年)に先立って、ハリウッドでのワールド・プレミア上映のわずか半年後の1931年8月に、作家の木村錦花が脚色し、13代目守田勘弥主演で、歌舞伎座にて『蝙蝠の安さん』として上演されていたのだ。
木村は、すでに海外で『街の灯』を見ていた15代目市村羽左衛門らからストーリーを詳しく聞き、映画雑誌の筋書きを参考に歌舞伎版を仕立てた。舞台を江戸時代の両国に移し、冒頭の記念碑の除幕式の場面は大仏の開眼供養の場面に、キャバレーは「上絵屋奥座敷」での芸者遊びに、ボクシングは賭け相撲にするなど、原作を忠実に翻案している。
「蝙蝠の安さん」とは、有名な歌舞伎作品である『与話情浮名横櫛』に登場する蝙蝠安のことだ。蝙蝠安を主人公に据えたことが、木村の最大の発明ではないだろうか。彼は、(仮名垣魯文が『ハムレット』を、浄瑠璃「葉武列土倭錦絵叢丸(はむれっとやまとのにしきえ)」に翻案したように)外国名にそれらしい日本名をつけたりせず、歌舞伎で馴染みのキャラを引用した。単に翻案したのではなく、日本文化の深い層において受容したわけだ。
日本人がチャップリンを愛したように、チャップリンも日本が好きだった。秘書の高野虎市を通して日本文化に興味を持ち、来日する度に美術館で浮世絵を楽しみ、歌舞伎に代表される伝統芸能を愛でた。北斎や写楽について日本人よりも詳しく、歌舞伎座で忠臣蔵を見る前には、まわりにストーリーの説明をしていたほどだった。7代目松本幸四郎や初代中村吉右衛門、6代目尾上菊五郎らの演技に感嘆し、歌舞伎役者が大成するのに何十年もかかると聞いて、自身も5歳で初舞台を踏んだチャップリンは大いに共感した。(それにしても、7代目幸四郎と2代目猿之助の「連獅子」を見て、「踊りは幸四郎の方がうまい。猿之助は意気があり、すこしアクロバティック」「日本の踊りのいいところは腰から上のポーズだ」と看破した喜劇王の観察力には驚かされる。)いわば、『蝙蝠の安さん』はチャップリンと歌舞伎との相思相愛の賜物だった。
vol.101
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