ところが70年代になると、「世界の終わり」「終末」「ディストピア」を扱った作品が目立つようになる。「経済成長が頭打ちになり、未来予想図も『反省モード』になるなか、子供たちの好奇心は心霊、超能力などオカルト的なものに向けられたのです」と初見さん。そういえば、当時小学生の私も、『ノストラダムスの大予言』(1973年、五島勉著、祥伝社)を手に汗握って読んだ。人生は今を楽しまなくちゃ損かも......そんな風に考えたっけ。
初見さんは言う。「オカルトブームの反動でしょうか、80年代の子供たちは、存在がはっきりしないものを追い求めるのに疲れ、確かに存在する『今』を楽しむのに忙しくなりました。実用的で、すぐに商品化できるテクノロジーがあこがれの対象になり、未来予想図からも『すごい!』は薄れ、『便利さ』がクローズアップされるようになったのです」
そして、「冷戦」と「昭和」の終焉とともに、日本の子供たちはかつてのように「非現実的な未来」を夢見ることはなくなった、と初見さんは考えている。
「令和」の子供たちは、どんな未来を思い描くのか。子供たちが描く未来の世界の絵を見た初見さんは言う。「50~60年代に比べると、荒唐無稽なばかばかしさはないのですが、未来への好奇心や興味も消極的なものになっているのかな、そんな風に感じました」
現代社会に生きる私たちは、未来を知りたいという「欲望」が減退しているのだろうか。その問いに向き合う上で、大いにヒントを与えてくれそうな文献を見つけた。
アメリカのSF作家、アイザック・アシモフ(1920~1992)が、1986年に出版した『フューチャーデイズ』(邦題『過去カラ来タ未来』、石ノ森章太郎監訳)というエッセー集。その前書きでアシモフは、こう記している。「自分の運命を知りたいという欲求は、人類全体に何が起きるかを予測したいという欲求と密接に絡み合ってきた」――。
この本は今から100年以上前、19世紀末のフランスの商業画家ジャン・マルク・コテが描いたとされる「未来予想図」を数多く収載している。たとえば、「新流儀の仕立屋」と題したイラスト。機械のアームがお客を素早く採寸し、好みの布地を本体に突っ込めば、あっという間にオーダーメードの服ができあがり! あれあれ? これって、どこかで見たことあるぞ。話題を呼んだ水玉模様の採寸用ボディスーツ「ゾゾスーツ」とそっくり。
vol.101
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