アステイオン

サントリー学芸賞

『サントリー学芸賞選評集』刊行記念企画vol.4 自由で闊達な社交の場を

2019年03月22日(金)
河野通和(ほぼ日の学校長、編集者)

この時に経験した「自由な社交」の場を再現したいという夢が、財団設立の方針につながったというのです。さらに、創設される賞の名前が、個人名を冠するものでもなければ、「学術」でも「文学」でもなく、欧米の学問でいうリベラル・アーツを想起させる「学芸賞」になったのも道理でした。専門化され、分化された"知の塹壕"から抜け出し、より広い理解と共感を求める著作――知的探求の成果を読者に届け、ともに考えるという試みで書かれた作品――を顕彰するという強いメッセージが感じられました。アカデミズムとジャーナリズムの融合をめざすという意思も伝わりました。ちょうど学園紛争と全共闘運動が過ぎ去った後の「しらけ」世代と呼ばれた私たちは、新しい変化と気運を求めていたのです。

ところが、きのうまで学生だったような若造とは違い、これまで日本の言論界をリードしてきたと自負する人たちは、内心穏やかでないものを感じたようです。論壇、文壇的な主導権を奪われるのではないかという党派的な疑心暗鬼からです。

また、中公サロンのような自由で闊達な言論空間を誰よりも強く望みながら、いろいろな事情でそこから後退せざるを得なかった中央公論社の嶋中鵬二社長などは、「賞を創設するのは簡単ですが、それを存続させるのは並大抵じゃありません」と、やや負け惜しみ的な感想を洩らしました。その時の嶋中さんの、負けず嫌いらしい少しさびしげな、無念の表情がいまも目に浮かびます。

ただ、書き手にとってこれほど励みになる話はありません。1979年、第1回の「社会・風俗部門」には、藤原房子さんの『手の知恵――秘められた可能性』が選ばれました。選評に、木村尚三郎さん(東京大学教授・西洋史)が書いています*2。

<これはすばらしい本である。それを一口に言えば、日常的に何気なく見過され、また軽視されてしまう家事について、そこに働く熟練した手の美しさ、「手の知恵」とされるその動作の合理性と芸術性を、部分部分の一つ一つをゆるがせにしない女性特有の克明な眼でフォローし、解明し、くっきりと浮き彫りして見せた。まさに画期的な書物である。>

画期的であるのはこの本のテーマだけでなく、こうした著作を顕彰する賞そのものが斬新でした。既存のジャンルには分類しにくい、いわばボーダーレスな作品をすくい上げる枠組みは、それまでの賞には見当たりませんでした。

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