「日本的現実主義」をもとに、高坂は平和を日本外交の価値及び最終目標、勢力均衡の維持を平和の第一歩とし、平和の漸進的な実現を期待していた。そして、権力政治と価値が両立できるという見解に基づき、氏はパワーの多様性を深く認識し、そこから日本の方向性を描いた。日本がどのように生きるか、何ができるか、いかに国際政治に関与するか、を高坂は問い続けた。氏の答えは、必要最小限の防衛力を保ちながら、経済力、技術力や「他国の役に立つという能力」などを生かして国際社会で活躍する日本の将来像にある。たしかに軍事力が弱い「通商国家」日本にとって、これが最も賢明かつ実現可能な最善の道であろう。
一方で、我々は高坂の国際政治思想が主に冷戦という時代の産物であることを忘れてはならない。特に、氏の亡くなった1996年までには、中国の台頭という国際政治構造の変化がまだ見られなかった。かつて、高坂はイデオロギー的な中国論に批判的な態度を取り、東アジアの緊張緩和という観点から日中国交正常化を主張し、中国が大国になる潜在的な可能性を見通していた。しかし、今の中国が強大な軍事力と世界2位の経済力を持ち、世界的なパワーシフトを引き起こすことは、恐らく氏の予想を遥かに超えたであろう。では、国際政治の転換期を迎えた今、我々は高坂の知的遺産から何を学べるのか。
ケネス・ウォルツ以後のリアリストは価値の問題を一切取り扱わない。然れども、国家、特に指導国は絶えず価値からの要請に応える必要があり、国際社会における正統性の課題に直面している。そこで、振り返るべきは高坂の国際政治に対する分析枠組みである。力・利益・価値という分析枠組みは決して時代遅れではない。興味深いのは、中国を代表する国際政治学者・閻学通が提唱した「道徳的現実主義」が高坂の思考に近いことである。閻氏によると、今の中国は軍事力と経済力は強いが、それでも国際社会における正統性を得られない限り、真の台頭は実現できない。それゆえ、中国が「仁」「義」「礼」などの普遍的価値を掲げて、グローバルな問題に対応することで国際社会に積極的に貢献しなければならないという。この点から見ると、「日本的現実主義」は一般理論へと発展する可能性を含んでおり、我々は高坂の国際政治思想の理論的意義を再考すべきなのである。
vol.101
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