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日本を代表する国際政治学者・高坂正堯の没後20年を機に、「いま求められる高坂正堯のまなざし」をテーマとした「サントリー文化財団フォーラム・東京」が5月18日に開催され、大阪観光大学教授・森田吉彦氏、京都大学教授・中西寛氏が高坂の国際政治思想について熱く語った。
森田氏は、高坂の中国論をハーバードでの留学といった思想的背景を顧みたうえで、包括的に説いた。さらに、力(軍事力)・利益(経済力)・価値(ソフト・パワー)という高坂の国際政治に対する分析枠組みに基づき、中国問題の複雑性を鋭く指摘した。中国の台頭に対して、日本は複雑な中国問題を一面だけ見るのではなく、その絡み合いを考えるべきだと論じた。
中西氏は、高坂の海洋国家論・文明論を述べながら、一貫して日本のアイデンティティに対する高坂の関心を明らかにした。高坂は60年代において「吉田路線」を再評価するとともに、「自立」という課題に焦点を当てて「海洋国家」を国家目標として挙げた。70年代以降は米国の相対的な衰退や石油危機などを背景に、パクス・アメリカーナの限界と「通商国家」日本の弱みを指摘し、日本がより積極的に国際社会に貢献する可能性を訴えた。日本が国際的な視野を持ち、世界秩序の構築に関与すべきであるという高坂の見解が時代の潮流に合致していると中西氏は説いた。
根本的に言えば、中国論も海洋国家論・文明論も高坂の「日本的現実主義」に基づくものである。高坂は「現実主義者の平和論」(『中央公論』1963年1月号)で60年代の論壇に登場し、権力政治を軽視する「進歩派」の理想主義だけでなく、価値の役割を見逃した「保守派」の現実主義にも批判を加え、権力政治(一次的なもの)と価値(二次的なもの)の両立を可能にする「(新)現実主義」を掲げるようになった。当時、国際関係論の古典的リアリズムも価値の役割を認め、権力政治を制約する要素として捉えた。高坂の「(新)現実主義」はある程度古典的リアリズムから影響を受けたが、主に外交政策をめぐる国論分裂という日本的な課題の解決を狙う点においては特異で、まさに「日本的現実主義」ともいえよう。これは高坂の国際政治思想の中核であり、氏の最大の知的遺産なのである。
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