針が怖くて献血を嫌がる日本の学生にワクチン接種は広がるか
<新型コロナウイルスとの戦いは、いかにワクチン接種を進めるかにシフトしてきているが......>
日本で新型コロナウイルスが最初に確認されてから長い間、都道府県ごとの感染者や重傷者の数がニュースの常連項目だった。しばらく前からはそこに都道府県別のワクチン接種率が表示されるようになったことをみて時代の変わり目のようなものを感じた。メディアも今後ワクチン接種関連ニュースに軸足をシフトしていくに違いない。世の中の変化を確実に感じる。
世の先を占う株式市場を見てもコロナ明けを見据えた業種の株価が場合によってはビフォアコロナの水準に既に達している。次のステージに進んでいることを示している状況はこんなところにも。コロナ騒ぎが始まった当初は大騒ぎとなったコロナ感染者や関係者が被害を被るコロナ差別も、ここにきて差別の対象が徐々にワクチン非接種者に向かってきている。
コロナによって社会が確実に分断された。その最たるものは健康をとるか経済をとるかだったが、2つはがんじがらめになっていて切り離しようがないことをこの間、各々が身にしみて分かったにもかかわらず、極論に執着した政治・社会構造は以前にもまして健在だ。経済か健康かの分断の延長線に今になって現れているのはおそらくワクチンを打つか打たないかだ。ファシズムや同調圧力と言われたらそれまでだが、集団免疫を求めワクチンを接種する方向で社会が突き進むことを止められるとは考えにくい。
私は大学教員をしている関係で若者と話をすることが自然と多い。この前から聞かれてある意味、返答に困っているのは、ワクチン接種についてだ。見渡す限り「できたら受けたくない」という日本人学生も留学生も多い。私が勤める大学も職域接種に向けての体制なども進んでおり、教え子に限らず、日本の若者のワクチン接種が今後どう進むのかをある意味、研究対象としても楽しみに見守っている。
注射の針が「怖い」
実は私は大学のボランティア系科目の担当教員である。そんなこともあって、学生とともに献血推進のボランティアにも取り組んでいる。具体的には年1、2回の献血の呼び込みと献血協力ということになる。一見聞こえは良いだろうが、実態はそれほどうまくいっているわけではない。はっきり言って、呼び込みは上手くいくが、献血協力は上手く行かないのだ。これは年々深刻になる一方だ。
学生は「献血はしたくない」というが、その理由はたった一点に集約される。「針が怖い」ということだ。もちろん熱心に献血をしている学生もいることはいる。たが全体として見ると献血推進活動の現場には献血不足の深刻さを訴え、献血協力を他者に求めながら、自らは針が怖いから献血しないというなんとも自己矛盾を抱えている若者でごった返しているのだ。もう1つ付け加えれば、献血に消極的なのは日本人学生の1つの特徴でもある。傾向としては留学生の場合は献血に積極的な学生がむしろ多い。
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