「養子縁組」で母になったTBS久保田智子、いま何を思うのか

2020年12月13日(日)16時00分
小暮聡子(本誌記者)



――夫である平本さんには、どのタイミングで養子という選択肢について伝えたのか。

15年5月に入籍したのだが、その3カ月前に付き合い始めるとき、平本からは彼がその年の6月からニューヨーク支局に赴任するとも言われていた。結婚を前提に交際する中で子供について話して、養子という選択肢もどうかな、とも伝えた。

付き合う中でこの話をするのは、正直とてもつらい。私も結婚したいと思っていたし、でも、自分にはこういう欠点がありまして、というみたいで......話をして、拒絶されたら私はどうなるのかなとか、でも自分の中の一部であり、どうしようもないところなので、受け入れてもらわないと困るなぁとか。自分は幸せになる権利はないのかな?とか......。

――話したときの、平本さんの反応は?

智子がそれ(養子縁組)がいいならそれでいいよ、という感じだった。彼はとてもポジティブで切り替えが早かった。無理なことについてはもう悩まないで、他の選択肢、という考え方をする人なので。私は決断するのにすごく時間がかかるから、自分と違うタイプの平本のような人に出会えたのは本当に運が良かったと思う。

――結婚して、子供を持たないで2人で生きていくという選択肢はなかったのか。

確かにそういう生活もあるし、それはそれで幸せだろうなと、建前では思っていた。でも私の中では、子供が欲しいっていう気持ちがとても強かった。あとは、養子という選択肢があることを分かっていたというのも大きいと思う。私も子供が欲しい、平本も欲しい、養子縁組で子供を育てることが出来るかもしれないと知っているのに、なぜ挑戦しないでその選択肢を諦めるのか、と。

――家族を作りたいという思いは、自分が育った家族の幸福に根差しているのか。

それはないかな......。私自身は、すごく寂しい子供だったと思う。父はよく怒る怖い人で、何かをお願いしても開口一番「ダメだ」と言われる。母は、私が何かに挑戦しようとするたび「そんなことができるわけない」と失敗したときの心構えをさせるような人だった。

今では、母は最悪を想定しておけば失敗した際のダメージが少ないからと、私を守ろうとしてくれていたのかもしれないと思うけれど、当時の私は生きること、逃げることに必死で、すごく自己肯定感の低い子供だった。

家族っていいな、と思うきっかけがあるとしたら、ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』の世界に憧れて高校1年の時にカリフォルニア州でホームステイをしたとき、20代後半のホストファミリー夫妻から生まれて初めて「ほめてほめてほめられまくる」という経験をしたこと。

大学3年次にカリフォルニア大学に1年留学して、同じホストファミリーの元で暮らしたのだが、それまでに夫妻は2人の子供を授かっていて私のことは「長女」として扱ってくれた。ビバリーヒルズの生活を想像していたら、とんでもなく「庶民的」で(笑)。でも本当に素敵なご夫婦に巡り合えた。今思うと、私の家族像はあそこにあるのかもしれない。

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