ミャンマー若者世代、堕ちた偶像スー・チーに反旗

2018年12月9日(日)15時35分

「ロヒンギャを認める」

スー・チー氏は軍を統制する権限を持っているわけではないが、少数民族ロヒンギャへの保護を怠ったことで国際的な批判を浴びている。国連機関によれば、2017年に西部ラカイン州に起きた軍による徹底的な取締りによって、73万人以上のロヒンギャが国外に逃れている。この取締りは、ロヒンギャ反政府勢力が治安部隊を襲撃したことへの対応として行われた。

ミャンマーはロヒンギャ難民が告発している残虐行為のほぼすべてを否認しており、軍は合法的な対テロ作戦を実施したと述べている。

ミャンマーで多数派を占める仏教徒はロヒンギャに対して批判的だが、若い世代の活動家からは数少ない同情的な声が上がっている。

「私たちはロヒンギャを受け入れている。彼らが『ベンガル人』と呼ばれている事実はまったく受け入れがたい」とMaung Saung Kha氏は言う。ロヒンギャ族がミャンマーで長年暮らしてきた歴史があるにもかかわらず、バングラデシュからの侵入者という意味で「ベンガル人」という呼称が一般的に用いられている状況に言及した。

「実際に起きたことについて、確認も処罰も行われた形跡が見られない」と語るMaung Saung Kha氏。「人々が彼らを人間以下の存在だと見ており、彼らを殺しても罪ではないと考えている限り、難民は戻ってこないだろう」

やはり違法デモの容疑に問われている青年活動家Khin Sandar氏は、2015年の選挙に向けて何ヶ月もNLDを支援する運動に参加したが、スーチー氏によるラカイン危機への対応を巡って、彼女に抱いていた信頼を失ったと語る。

彼女の家族は2012年に発生した一連の住民同士の暴力的衝突によって影響を受けた。このときはロヒンギャだけでなく、同じくムスリム系少数民族のカマンも住居から追われた。カマンも差別を受けているが、ロヒンギャと違い、ミャンマー市民として認識されている。カマンはラカイン州の州都シットウェ郊外に設けられた窮屈な難民キャンプで暮らしており、移動の自由を厳しく制限されている。

昨年の暴力行為の後に行った演説の中で、スー・チー氏は「(ラカイン州のすべての住民は)差別を受けることなく教育・医療サービスを利用できる」と述べた。

「私自身の甥や姪たちは今もシットウェの難民キャンプで暮らしており、スー・チー氏が言うような権利を享受していない」とKhin Sandar氏は言う。「私にはショックだった。どうしてスー・チー氏は演説であのようなことを言えたのだろうか」と付け加えた。この演説の後、彼女はNLD議員の下の研究員の職を辞したという。

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